日本に演技のスタンダードはあるか

問・演技のスタンダードはあるか。
答・日本にはない。

演劇大国ロシアではオリンピック選手を育てるように役者を育てます。役者は学者的生活を許されながら何年も演技を研究します。
宝塚音楽学校を軽く上回る、恐るべき高倍率の演劇学校に入学し、4年間毎朝早くから夜10時過ぎまで、スタニスラフスキー・システム、ヴィオメハニカなどをみっちりとやります。
何事も1万時間トレーニングをすれば、お金を取れるようになるというセオリーがあるようですが、ロシアの演劇学校を卒業する生徒たちは、
単純計算で、軽く1万時間以上のトレーニングをしています。
そうして卒業したら仕事に事欠かないというわけではないですが、とにかくそうした専門教育を受けた人しか「俳優のプロフェッショナル」とは認められません。
そして彼らは古典から前衛まで、あらゆるジャンルの演技に対応できるような声と身体を身につけています。
したがってロシアのプロの演技者は皆、演技の共通言語を持っています。

イギリスのトップレベルの演劇学校も、三年間みっちりとやります。こちらも全世界から集まったえげつない数の人を、ロンドンとニューヨークで長期オーディションをやり、合計7回もふるい落として(RADA)の場合、わずか男女15人ずつ入学できます。
そして免許を持ったヴォイスの先生と、同じく免許を持ったアレクサンダーテクニックの先生が、生徒に演技の共通言語を習得させます。
声の先生と身体の先生はお互いの分野に精通しているので、生徒は混乱しません。
そうして、共通言語を習得したイギリスのトップレベルの演劇学校卒業生たちは、舞台でも映像でも目覚しい活躍をしていることは、周知の通りです。

ロシアやイギリスにおけるこれらの共通言語はある意味では「演技のスタンダード」と呼ぶことができます。

果たして日本はどうかというと、日本には「演技のスタンダード」がありません。
ある先生は「俳優は美しく響く通る声と、美しい立ち姿です!そのためには、自分のクセを直しましょう」と言い、
また、ある先生は「そんなはっきりセリフ言うと芝居臭いです。人間の身体も言葉も本来ノイジーなものだから、自分のクセはそのまま受け入れましょう」と、反対のことをいう。
こんなことが普通に起こります。

また、各劇団や大学などの俳優養成機関はありますが、それぞれが、それぞれの方法で指導をして、「それを習得しなければプロの俳優と認められない」というような俳優教育は存在しません。

したがって、日本において、プロの定義は非常に曖昧で、俳優教育を全く受けていない人でも
舞台に立ってお金をもらえば「プロの俳優」として認められることだってザラです。

スタンダードがないので、プロデュース公演の場合、歌舞伎役者と、新劇の俳優と、商業演劇の役者と、小劇場の俳優と、アイドルが同じ舞台に上がるということが起こり得ます。
演出も大変ですが、見てる観客だって大変です。

それで21世紀になるかならんかくらいの時から、日本にも「演技のスタンダード」が必要ではないか、いや、そんなものいらん、みたいな議論があちこちで起こったんですが、現段階で一向に決着はついていません。

大きく分けると、「日本も世界スタンダードで俳優教育しよう」というタイプと、「演技が学校で教えられるわけがない」というタイプと、
新しい戯曲と演技の方法論を粛々と構築しているタイプの、三種類があると思います。

共通言語のない人同士で芝居を創るのはお互い結構大変だし、日本にも演技のスタンダードがあってもいいと思います。
でも「スタンダード」という言葉を使うからには、覚悟が必要です。それこそ日本でもオリンピック選手を育てるように俳優を育てて、どんなジャンルの演劇にも対応出来る、他の追随を許さぬ圧倒的な才能を持った俳優を生み出すような俳優教育が必要になるでしょう。
もし演劇先進国のように、徹底した演技教育を受けた人間のみが「プロフェッショナルな俳優」として認められるようになれば、そして演劇業界全体もその精神に賛同して演劇作りをするようになれば、日本の演劇の「質」は向上すると思います。
だって、詩的で美しい言葉と身体だって、リアルでノイジーな言葉と身体だって、芝居のスタイルに応じて両方とも体現出来るのが一番いいんですから。

そうでなく生半可な演技教育でスタンダードを語ろうものなら、誰かに「何がスタンダードだバカヤロウ、そんなもんなくても面白い芝居が創れるんだぞ。ざまあみろ。」と、言われておしまいです。

常識的に考えて、日本の演技界に一夜にして共通言語が浸透するようなことは起こらないので、徐々に演技の共通言語を持った人がだんだん増えていけばいいなと思います。

もし「俺は○○畑の出身で、こういう演技スタイルは俺の持ち味だから一生このままでいく」
などと言っている人がいれば、徐々に淘汰されていけばいいと思います。

イギリスでは、前衛的な現代劇に出演することになったシェイクスピア劇の老名優が、若者と混じって、ワークショップを受けたりするらしいです。
ちょっと、日本では想像しがたい光景ですが、
私は本当に素敵なことだと思います。

10年ほど前になりますが、モスクワ芸術座の
ある演出家が言った言葉が印象に残っています。
「我々は日本のようにいい車は造れない。
ロシア人が造る車なんてゴミみたいなものだ。
でも、我々はいい演劇を創るのです。」


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