ラーメン凪創業記 第2章:一蘭 店長~東京進出時代
ラーメン凪 代表、生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまでの波乱万丈な創業記!?
前回はこちら☞第1章:高校卒業~波乱の一蘭時代
真面目な生田と変な一蘭
サラリーマン人生を爆進しておりましたが、基本真面目な青年です。
幼少時代から人と同じことをするのが嫌で嫌で仕方なく、落ち行きは全くありません。今でも完全に問題児です。ぐれたりはしなかったですが、素行は決してよくありませんでした。
そんな真面目な青年がこの会社を通じておかしくなっていきました。
どれだけ面白い会社かというと、社員旅行では必ず一芸を披露しなくてはならず、芸人ばりに新しいネタを探す日々を過ごしていました。
カップヌードルをいかに美味しく食べるか競争とか、終盤では必ず裸芸です。
旅行にいく時は全社員自分のバックになにかしらシールや目印をつけ、段取りが重視されました。
お花見でも当然裸芸を炸裂し周りからは白い目でしか見られない。
ある時、
「明日から社員同士の電話のやりとりは英語です」
と言われて、みんな必死に英語を話そうとしたり、
「明日から東京オフィスは無くなるので在宅でいいです」
と言われたときは、現代と違いまだ2000年初頭ですから「在宅?」と何をしていいかわからなくなるなど。
相当勉強にしかなりませんでしたが、普通の人は本当におかしくなって、優秀な人ほどすぐに居なくなりました。
当時、ラーメン屋さんで働く人はぱーちくりんばかり。どこか人生のポンコツだったと思います。その輩の集団を一端の社会人にするとなると、そりゃこうなるよなーと。
そんな社長でしたが、厳しくも「生田、本を読め」とよく言われ続けていましたんで、片っ端からビジネス書を読みまくりました。1000冊はないまでも、それくらい読んだと思います、もう忘れてしまいましたが笑
その時読んだことをメモして、”言葉メモ”なるものを作ったりして、先日も過去のノートからそれを見つけていかに自分がやばい人間だったかと自覚していたところです。
総じて一蘭では「人に気を使え」と言われて、社長へ一番気を使っていたわけですが、それでもそれを通じて人間力というか視野を広げたことは事実です。
ビリビリしろ!と言われ続けて半分鬱になりながらも(多分)ですけどね。
ポンコツが一端になるには、やはり荒治療が必要ということでしょうか。
そんな現場で大きく成長したのは、
「”人”とどう一緒に仕事を進めていくか」を肌で学べたことは大きかったです。
売上・素行の〇さNo.1 一蘭キャナルシティ店
23歳の時にできる店長として、一蘭のキャナルシティ店に配属されました。
キャナルは当時随一の売上を誇っていましたが、素行の悪さも随一でした。
まず、仕事という感覚がないのでいつでも休憩を取りまくり。
また時間があれば、私用であちこち行ったり、銀行にお金を下ろしにいったり、どこかに飯を食べに仕事中にスタッフが消えていきました。。
これではオペレーションが成り立ってない。
それでも集客力が凄すぎて、本社から見過ごされていました。
そこでよくある立て直しの仕事が任されます。
赴任してすぐに現場とぶつかりました。
当時、直球しか投げられない僕は良い悪いがハッキリしていました。
もっと言うと、「自分の正しいは相手にとっても正しい」と勘違いしていて、正論をかざすものの相手には理解できるはずもありません。
今であれば、よくストレートに体当たりしたなと褒めてあげたいくらいですが、日々遅刻や不正を働くアルバイトさんと衝突しまくりました。
その結果、1人、また1人とお店を去っていきました。
そして、とある日曜日。
15人必要なオペレーションでアルバイトさんが5人しか来ないんです。
みんなバックれました。
めちゃめちゃ焦りましたが、もう後に引けない。
本社、上司に泣きついてもなにも変わらないので、ヘルプに来てもらえる人だけ呼びなんとかお店を開店。
本当に残ってくれた現場のアルバイトさん達には感謝の言葉しかなかったです。
が、その事態を招いてしまったことを反省をしました。
「正しい」を自分の物差しだけでみても誰しもが納得をしないのだと身に染みて感じました。
この事がなければ、今のように色々な価値観を受け入れることは無かったです。
一蘭、関東初出店を任された生田
東京に来たきっかけは、一蘭の関東初出店でした。
元々海外志向的なものがありまして、東京経由アメリカ!とか妄想にふけながら、ことあるごとに上司に「東京出店」があるときは推薦を何度もお願いしていました。
その甲斐あってか、2002年8月に東京に来ることができました。
今でこそ大型チェーン店の一蘭も基本のマニュアルはほぼ無い状態でしたので、一から作り開店することに。
またお店すらまだないので(六本木で工事中)接客はイメージ、調理もイメージでやるというとんでもない研修を作りました。
時々やることも無くなり、みんなで事務所の床で真昼間から「昼寝は体にいい」という持論を体現して寝ていたころが懐かしい。
数ヶ月後、そのツケがしっかり返ってくるとは思わずに。。。
つづく!凪開業まであと4年!(毎週火曜更新)
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