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002 きっかけ

 
 2008年にAdrenalineを始めるわけですが、ここに至るまでは約5年くらいあります。 

 元々、北海道にいてジャンル的にはハードコア寄りの音楽を作っていました。当時二人組のユニットをやっていて一緒に作っている人が東京にいたのもあって2003年に大学卒業と同時に上京。ありがちな「若者夢を追って東京へ」のスタイル。
 
 一緒にやっていた人がその頃ハードコア系からテクノ、ハウスに興味を持ち出していて、テクノをやろうなんていう話しをしていた時、その人がLove paradeを観に行ったわけです。本場のテクノは環境を含めやはり凄かったようで、当時相当興奮気味だったのを覚えています。そんな余韻覚めやらぬ中、当時彼がベルリンで買った新譜を何枚か紹介してくれたわけです。
 そのうちの一枚が後によく知ることになる、当時、私が勝手に日系ドイツ人だと思っていたAkira Ishihara御大のKiddaz FMからリリースしたUnder the Saya 

  

 で、もう1枚がMarco RemusのMix CD Palazzo Vol.1 。
  

 Marco Remus のこのMIX CDは衝撃的で、以降の音楽の方向性を決めるには十分でした。Rushのボイスで始まるイントロの後のMarco Remus自身の曲Indian BeastとかManu ChaoのJe ne t'aime plusをサンプリングしたEric SneoのCiao Bellaの感じとか。  それからはとにかくそこに収録されているトラックのレーベルとアーティスト全部買っていくみたいな感じで。
 Marco RemusのようなDJがしたい一心で堀り続けて、レーベルだとKiddaz FM, Beatdisaster, Nerven, Abstract, Pro-Jex, Djax-up-beats, Kne'Deep, Killazとかその辺り。ネットでも現地の情報にアクセスしてみたりして、どうやらこういう音楽のことをHard Technoと言うのもわかってくるわけです。
 
 前述のPalazzoシリーズのMIX CDは毎回内容が良くて、Gayle San, DJ Rush, PETDuo, Eric Sneo とまあどんどん出て、確かDVDも出てそれも買って、こういうパーティに行きたい、誰かこういうDJ呼んでくれないかな、と強く思うんですけど、そもそもこういう曲ばかりかけるDJって日本にいないし、中々呼んでくれる人もいなくて悶々とする日々を過ごしておりました。

唯一DJ Rush は何回か来ていてそれは来たらダッシュで行く、みたいな。そう言えば、DJ Rushってこの音楽の枠の人だったのに(Marco RemusもFrank KvittaもPETDuoもRobert Natusも合作している)日本では何でかあまりその枠で語られなかったですよね。何でかな。  

 同時に少しずつこういう感じの曲を作り出して当時はMyspace に曲をあげて反応見たりとか、リンク送って反応見たりとか。そんなことをしていました。ちょっとずつクォリティが上がってきたので、Robert Natus のレーベルにデモ送ったらメールで "Monotone"とただ一言返ってきて涙したり。  
 当時は弟(Yushi Honjo)とDJについて話し合ったりYoutubeでドイツのイベントの動画上がったらそれ見て思いを馳せたり、曲作りのアイディア出し合ったりして色々やっていたのがのちに繋がって行く、と。そういう感じでした。 こう言う動画ですね↓   まさに見た動画。まだ残っていた。


 とりあえず何かやるしかないとなって身近にいたテクノ系のDJと一緒にExpassionと言うイベントを始めるんですけど別にどこにも何のインパクトを与えぬまま時が過ぎて行くのでありました。
 Satoshi Honjo 20代後半遅めの挑戦。
 そう言えば、その頃本名じゃなくてSatoSatoとか言うふざけて名前でやっていたんだった。今思い出した!
 曲もリリースされないし、パッとしないしこのまま一体どうなるのか!

この辺が大体2003年後半から2006年のWIRE Felix Krocher事件の前までと言う感じ。  

つづく


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