003 WIRE06

 そんなこんなで2006年、Wire06にFelix Krocherがラインナップされた時、こう言う音楽聞いていた人は多分、え?何でKrocher?って思ったと思うんですよね。 
 
 私は思いました。
 
 確かに色々なリリースやらMIX CDやら出ていたけど、当時はAbstract 界隈の人たち(Robert Natsus, Arkus P, Frank Kvitta, Mario Ranieri, Boris S, Vipper XXL, Kaoz, Eweなど)が各国、各パーティのヘッドライナーを飾っていて、しかも彼らはHardtechnoと銘打って世に出ていたので、Schranzを前面に押し出して来ていたり「BPM180!!! 」みたいな触れ込みで来たのにもものすごい違和感があって。何もかもが持っている情報と違っていて、やっぱりWIREはwackだぜとか思った記憶。わかってねーよ!全然わかってねーよ!みたいな。

 で、Hardtechno だとか Schranzだとか、こんなジャンルが何かなんて今更どうでもいい話しなんですけど、ただ当時からこのジャンルの名称については色々ありました。面白いのはドイツで始めた人たちは自分たちのジャンルのことをSchranzって言っていないんですよね。Schranzと言う言い方は確か東欧とか、後から出て来た人らがその名称使い出していて広がって行ったイメージ。実際、Abstract Crew だったオーストリアのMario Ranieriが2006年にリリースしたEPに彼らの当時の心境があらわれているのではないかと思います。

 HardtechnoとSchranzの違いはAbstractのレーベルオーナーのKaozを2010年にAdrenalineに招いた時に直接聞いたことがあって、Schranzと言う言葉には否定的だったのは記憶に新しいです。

 その話しは別の機会に記すとして、ちょうどこの頃から各国にこのジャンルのDJ、アーティストが出はじめていて、特に東欧(チェコ、ハンガリー、ブルガリア、ロシア周辺)が熱くなっていて、スペインなんかにもゴリゴリしたクラブとかが出てきていたのかな。
 特にハンガリーは結構大きなイベントを大々的に始めたりしていてちょっとした盛り上がりを見せていた記憶。そこに当時若手実力派だったOBI とかCombat Skill のDJ Ocramとかが出ていたような。ハンガリーでやっていた人たち数年後にほとんどいなくなってしまっていましたけど。
 あとスペインはブラジルから移住(留学)して来た人たちと現地の人たちがうまく組み合わさってシーンを作り出していた印象。中南米もPETDuoがいたブラジル、コロンビア、メキシコ、あと当時はベネズエラとかからもポツポツ出てきていて、ルーツとは違う発展を見せ出していた頃かと。

 今思えば、借金してでもさっさと現地に観に行けばよかったんですけど、当時若くてお金もあまり無くてビビリで腰の重い私は日本でインターネット、特にMyspaceとyoutubeのローファイな動画から情報を得るしかなかったのでした。

  てな具合で、当時頭でっかちな私は、Wire06のKrocherには対して大きな期待をしておらず、安定のRichie Hawtinもいるし、レジェンドNitzer Ebbも出るからKrocherダメでも大丈夫だよな的な気持ちで行った記憶が。

   結果は衝撃のDJで心打ち抜かれてノックダウンされる、と。 

 Krocherの当時のハードなんだけどわかりやすくて楽しいDJって言うのは相当な衝撃でこの経験もこの後のDJのやり方にも相当な影響を及ぼすことになるのでした。そしてWireをWackとか思った自分を恥じて家路についたのを思い出します。

 これは自分も何かやらないとダメだし、ネットばかりやっている場合じゃない、と動き出すことになるのでした。 

 余談ですが、後にAdrenalineをやることになる面々、その時はお互いに面識なかったんですけど、後でこのことの話しをしたらみんなKrocherのDJの時は前から3番目までの列にいて大騒ぎしていたって言うのは面白かった。

つづく

 

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