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004 パーティが始まった

  Kurocherの後、東京でもちらほらこう言う音楽をかけるDJが出て来て、ものすごい小さな「シュランツブーム」的なものが起こりました。私のようにテクノ方面から来る人アシッドテクノ方面から来る人トランス方面から来る人などなどがこういう音楽をかけるようになって盛り上がりを見せ出します。
 そんな中、何と言っても日本で一番最初にこう言う音楽を専門にしたパーティを始めたのはKeniさん率いる IMPACTと言うパーティでした。確か2006年か2007年の初めだったか、もしかしたらもう少し前かもしれません。その頃です。とにかく彼は行動力がすごくて、かなり早い段階でAbstract 主催のドイツのパーティに行ったりしていて、恐らく当時の日本人でいち早く現場の雰囲気を感じた数少ない人だと思います。そのエナジーを持ち込んだのがIMPACTと言うパーティだった、と私は認識しておりまして、その頃の私は色々と刺激を受けたのを覚えております。 

 当時の自分はと言えばようやく人様に聞かせることができる曲が出来始め、個人的なアンセムIndian Nightの初期バージョンとかできていた頃だと思います。この頃はまだ名義はSatoSatoとか言う名義。下のリンクはAdrenaline から名義を変えて、少し直したバージョン。

  あとは『仁義なき戦い広島死闘編』の千葉真一先生演ずる大友勝利のボイスサンプリングを使ったJingi とかそう言うトラックが出来た頃で、日本にもこう言う音楽作る人がおりますよ、と言う感じになって来た頃です。

 こう言うタイプの曲や、あとは何と言ってもMarco Remusの影響もあって三連符ぽいハードテクノとかも作っておりました。
 当時曲を作ってDJもしている人っていうのはこのジャンルでは皆無で、そんなこともあって、2007年あたりからIMAPCTのメンバーの方たちと良く話しをしたりご飯食べるようになって、親しくなって色々話しをしたり、今後どうしましょうかね、とか。 
 で、当時宇川直宏さんがやられていたMixroofficeでIMAPCTが開催されることになり、その時に弟のYushi Honjo と出させていただいた次第です。弟は美大出身で宇川さんの本買ったりしていたし、私も私で90年代後半のQuick Japan などで育った手前、この話をいただいた時は相当舞い上がりました。
 で、当時舞い上がった割に今となっては、2007年のいつやったか覚えていなくて、数万年ぶりにmixi見直したら2007年の7月だったみたい。もう14年も前!ゲロでそう!俺まだ20代w 

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 その時、石野卓球さんがたまたま来ていらして、楽屋的なところで少しお話しさせていただいて感動したり。調子に乗ってデモCD渡したりして。電気グルーヴのオールナイトニッポンでテクノを知った世代だったので、ドキドキしながら。あ〜オラ東京に出て来たんだな〜なんて。06WireのKrocher の話とか今年もまた出るよ、今年はメインだよ、なんて教えてもらったり。

 この日にどのような曲をかけたか全く覚えていませんが、何かが始まる気配を感じた一日でありました。この後、IMPACT にいた人たちと一緒に何かやりましょうよ、と言う話になって色々動き出すのでした。

つづく

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