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イベントではない「祭り」の作り方

イベントと祭りはどう違うのでしょうか
若い頃真剣に祭りを創ることに
時間をかけてきました

こんなブログで
語ることではないかもしれませんが

今日は私が体験した
祭りの作り方のお話です

筆者は大分市で
ITプロモーション業をやっています
ロックスカンパニー久保田哲と言います
最後までよろしくお付き合いください



府内戦紙(ふないぱっちん)


大分市に3年ぶりに
祭りが帰ってきました

府内戦紙(ふないぱっちん)です

府内戦紙(ぱっちん)とは
大分市で約40年前に生まれた
代表するお祭りです


「踊り」と「山車の練り」が融合された
6,000人以上が参加する最大の祭りで
大分市のど真ん中を悠々と練り歩きます

私も裏方で
毎年参加するのですが
今年は坐骨神経痛のため
残念ながらテレビ観戦でした^^;

街に文化となる祭りを作る


38年前そう始まった祭り文化への挑戦は
コロナの大打撃を受け
2年間の中止を余儀なくされました

主催団体は大分商工会議所青年部

45歳までの若手牽引者が集う
商工会議所活動を目的とした
118名の団体です

私・久保田も若かりし頃所属し
府内戦紙にどっぷり浸りました


大分商工会議所青年部は
府内戦紙を100年続く祭りにするために
毎年毎年議論を重ね

参加団体や行政に頭を下げ
懸命に1年1年を積み重ねてきました

本番当日までの準備の苦労はもとより
府内戦紙の全てが青年部は裏方です

見る方も参加する方も
安全で楽しく戦紙を体験してもらうために
体を張った活動を今も続けてくれています

裏方なので
はっぴは黒です

現役後輩のみんな

大分商工会議所青年部出身者は
この名入りの衣装を全員持っています

もちろん私も持っています

中央が久保田です


元来「祭り」は神様が存在し
感謝と五穀豊穣を願うために行われます

各地の神社が行なっている祭りが
その歴史を物語っています

しかし府内戦紙には
シンボルとなる神様が存在しません

20年ほど前には
シンボルを無理やり作る努力もしてみました

しかしそれもうまく行きませんでした


ですが私たちは府内戦紙を
イベントではなく祭りと呼びます

なぜなら
イベントはいつか終わるもので
祭りは永遠に受け継がれていくものだからです


「今年もパッチンの季節がやってきたね〜」
「夏がやってくるね〜」
「今年も参加の準備をせんとね〜」

盆や正月と同じで
いつまでもなくならない日本人の習慣

こんな習慣になるのが
祭りであると信念を持って取り組んでいます


イベントではない「祭り」の作り方


神様不在の祭りを作るのは
簡単ではありません

40年前
大分商工会議所青年部の先輩方が

地域商店街の活性化を目指し
青年部を発足しました

そこで目指したのが祭りです

他県の有名な祭りに比べて
大分市の祭はメインとなるものがなく
新しい文化をつくるべきだ!!

と全国の祭を研究し始めました

そして青森のねぶたを題材に
死に物狂いで一基の山車を制作したのが
府内戦紙の始まりです

それはたった数人の先人の
「10年で街の文化となる祭を創る」
という目標を立て

なんの確証もない覚悟によって
生み出されたものです

当時の先輩方の話を聞くと
立ち上げ当初から
イベントではなく祭りを作る
という信念を感じます


祭りを作るのはたった一人の
発言から始まります

周囲を説得し
時間をかけて人間関係を作り
覚悟と責任を持って頭をさげ行動し
そして夢を語り合う

そうすると
賛同者が徐々に現れ
大きな輪となり後継者を創る

府内戦紙は
そんな覚悟を持った先輩方と
賛同していただいた企業様で
今日があるわけです

つまり祭りを創るというのは

自分一人ででもやるという覚悟

夢に向けて考え尽くす創造力

そして半端ない行動力が合わさり

多くの人の心を動かす結果
完成するものだと学びました


「人を動かす」


祭りを通じて学び合う仲間

大分商工会議所青年部は
そいう漢たちを生み出している団体です

しかし
若いっていいな〜って感じでしょうか

私もまだまだ負けません

多くの人を動かしていこうと
刺激を受けた祭りの夜でした

今日はこの辺で






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