香川県ゲーム規制条例から知ってほしい学校での道徳教育について

ゲームの利用時間を1日1時間に制限する「香川県ネット・ゲーム依存対策条例」が香川県議会において議論が進められ、2020年2月6日まで意見公募が行われている。

条例を推し進めている人たちはガチャ規制、WHOや国からゲーム依存症の公認、子供の健全な発育などを目的としている人たちだった。

社民党県議会議員 高田よしのり
ネット・ゲーム依存症対策条例、何が大事なのか。(改題)
https://takatanx.exblog.jp/27948362/
四国新聞
「ゲーム依存」=包括的な対策を 久里浜医療センター・樋口院長が講演 県議会で勉強会
https://www.shikoku-np.co.jp/bl/digital_news/photo.aspx?id=K2019011100000011900
NPO日本次世代育成支援協会
名古屋市立小中学校PTA協議会のPTA新聞で掲載されました
https://npo-jisedai.org/izonshou.html?gclid=EAIaIQobChMI0aqB6YOh5wIVDq6WCh2SJgfEEAAYASAAEgL2FvD_BwE

ここではゲーム依存やゲーム規制そのものの話ではなく、こうした規制がどのような流れで子供の教育に関わってくるのかが主題である。というのも、多くの親、子供の教育に関わる人たちはゲーム規制に賛成すると思っている。そのように考える理由は息子の夏休みの宿題にある。

夏休みの宿題に「環境について考える日記教材」があった。5行ほど環境について考えたことや、環境のために行ったことを毎日書かなくてはいけない。なぜ環境について考えなければいけないのか、環境を守るとはなにか、日本や世界はなにを問題としているのかなど、「なぜ環境を考えなければいけないのか」「どこまで議論は進められているのか」についてはたいして書かれていない。子供にできることと言えば、エアコンの利用時間を減らす、ゴミを分別する、あるいはゴミを減らす程度だ。

そんなものなぜ毎日毎日書かなければいけないのかと宿題の意義に疑問を感じて、教材を発行している会社について調べた。ご丁寧に環境日記のコンテストまで開かれ、環境大臣賞まである。組織図から会長の名前を調べ検索すると、会長は新興宗教団体の教祖であることが分かった。教団名で検索すると先祖の供養や病気が治ると物を売りつけるらしく、トラブルになっていた。

ショックを受けた。学校に教材を配るにふさわしい団体なのだろうか、そもそも学校は素性を調べたのだろうか。それから学校から配られる教材、講演やイベントのお知らせの手紙など、必ず主催者を調べるようになった。

正直にいえば、調べれば調べるほど、子供を学校に通わせていて大丈夫なのかと不安になった。

ブログに右翼団体の会長と肩を並べて写っている写真をアップして民族差別の発言をしている人、脅迫で逮捕歴のある人、ニセ科学やニセ医療を販売していて裁判にまでなっている人、親に自分の話をさせて票につなげたい議員などがいた。

この人たちは「道徳教育に関わっている」という共通点があった。つまり、道徳教育であれば素人でも教育に関われる機会が得られる。

自分は教育というものを信じている。それは人間そのものに関心があるからだ。人間はなぜ理解できるのか、できなかったことがなぜできるようになるのか、分かる・分からないの差はなにか、そういったことに関心があり、また、心の底から感動する。だから、よけいにショックを受けた。

なぜこうもあっさり教育に関われるのか、なぜ道徳ならば関われることができるのか。先生や周りの人に聞いてみるとその原因が分かってきた。

道徳教育のための教材、道徳教育のための講演やイベントは学校に受け入れられやすく、また学校独自で採用しているケースが多いようだ。

根本的な問いを生まれない道徳教育が求められていた。ゲーム依存・規制の話であれば「なぜゲーム依存してしまうのか」「なぜ規制しなければいけないのか」という考え自体タブーにできる。第三者からすれば、「その話をしないと始まらないだろ」と疑問に感じると思う。しかし、教育現場がほしいロジックは「ダメなものはダメ」と言える物語だった。

多くの親や教育関係者は問題と真剣に向かい合いたくない。なぜなら自分たちの責任や怠慢さと向き合わなければいけないからだ。ゲームばかりしてしまう子供がいたとして、その原因が家族の機能不全だったり、学校でのいじめだと分かったところで、面倒になるだけだ。家族の機能不全、いじめられてしまうのはゲームのせいにしておけばいい。

ゲームをやりすぎずに勉強をしてくれれば面目が立つし、問題が症状として現れることはなくなるのだ。また、進学校でなければ成績よりも規範のほうが評価される学校は多く、親も教育者も問題児にならないかどうかが不安なのだ。

自分が関わる問題について根本的解決を望む人は多いが、根本的解決のための行動をとれる人は多くないだろう。時間も手間もかかる。私も後回しにしている問題は山ほどある。

大人にもそういう隙間はある。根拠不明のビジネスマナーは子供の道徳教育に当たると思う。ビジネスマナー違反を指摘すれば仕事のできない人間だって相手よりも簡単に上に立て、「マナーがなってないから売上が低い」と納得させることだってできる。人間は道徳・マナー違反を指摘されることを嫌い、指摘するのを好むのだと思う。道徳的で、マナーのいい人に疑いを持ちにくのかもしれない。「悪いところもあるかもしれないけど、いい人だよ」とかばう人はたくさんいる。

「香川県ネット・ゲーム依存対策条例」が可決され、道徳やマナーとして学校や家庭に広まれば、根拠不明でも相手を悪者にして、自分を正しい立場における。親も教育者も自尊心が保たれるため大変都合がよく、なによりゲーム時間が減ったところで親も教育者も全く困らない。「ゲームが減った時間を勉強や親の手伝いに回して」と子供に言える。「この時間を減らして、こっちの時間を増やそう」と簡単に行動を変えられるほど、人間は賢くないのにも関わらずだ。

「自分たちの思うやりかたで、子供を思うとおりにしたい第三者」と「根本解決を望まない親・教育者」は道徳教育を通してマッチングする。話の発端であるゲーム依存症はすでに多くの学校で講演が開かれているようだ。ゲーム依存症ではなく、引きこもり・スマホ依存問題として語られる場合もある。

教育現場は利用される。「香川県ネット・ゲーム依存対策条例」で疑問を感じた人はぜひ、身の回りの教育について少し調べてほしい。トンデモ教育がそこかしこに潜り込んでいることに驚くはずだ。

「日本は教育と権利と技術を舐めている」と私は考えている。その考えは日に日に確信に変わっていくことが悲しい。教育は数々の研究から分かった原理原則に基づき、よりよい教育をを目指すべきでだと思うが、教育に関わる大人たちはそんなことはどうでもいいようだ。

#ゲーム依存 #ゲーム規制  #教育   

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