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「もう秋田に帰ろう」と思っていた、という話。

もう秋田に帰ろう。
そう思ってた時期があった。

2022年頃。

上京して最初に組んだパンクバンドは、ボーカルとのいざこざで逃げるように脱退。その後に組んだバンドも、メンバーとの関係がうまく行かず脱退。

人と関わるのが兎に角嫌になり、一人でネットを中心に活動を始めた。これが2021年春。

小賢しくマーケティングばかり考えていた当時の私は、自分の曲に人を流すための導線を作る必要があると考え、音楽系のyoutuber活動を始める。

わりあいに、上手く行った。登録者1,500人。

しかし数字と共に増える罵詈雑言。所謂アンチというやつ。

病んだ。毎日のように不特定多数の人間から罵倒されるのだ。そりゃそうなる。

だが、所謂成功しているyotuuberや知り合いの音楽系チャンネルをやってる方などは、罵詈雑言を受けても全く平気で、さらにそれをネタにしていた。

私はそうゆう強靭なメンタルは持ち合わせていなかった。
心が完全に折れて動画更新も辞める。秋田での勤め人時代以来の鬱症状に襲われる日々。

因みに漫画家の古い友人だけは、この時期の私がいかに笑わなかったか知っている。

良い事もあった。この第二の病み気に私の作品が決定的に変わってゆく。
それまでのブルーハーツのパチモンのような曲から脱却し"私の歌"が生まれ始める。

『犬の川』や『アトピーのうた』は、その初期作品群。私はこれらの曲が出来た瞬間から自分では思っていた。「傑作が出来た」と。

しかしネットでの反応は全く芳しくない。昔のパチモンの明るい曲ばかり伸びる。知人に誘われ偶に野外イベントで何度かライブをした。

犬の川を歌っても、気味悪がられるだけだった。

ああ、誰も私の曲を分かってくれない。
ライブやっても意味が無いや。と思うように。

ライブもろくにやらなくなった。
2022年はたった一回しか人前で演奏しない程に。

どうせライブもしないし、このままネットに曲を上げ続ける生活が続くなら東京にいる意味が無い。頃合いを見て秋田に帰ろう。そう思い始める。

と共に「東京にいるうちに色んな人のライブを見ておこう」と思うように。

気になったものは思い向くまま足を運んだ。

運命の日が訪れた。
2022年8月、三上寛のライブが"たらまガレージ"という店で投げ銭で見られるという。

小手指という聞いたことも無い、所沢の外れへ行った。

初めて見る三上寛。黒い黒い東北の世界。
私には分かり過ぎるほど分かる。満足した。

誰でも参加出来る打ち上げがあった。
何気なしに参加したが、無論知らない人ばかりなので上手く話せない。

店の人が気を使って色々と話しかけてくれた。
問われたので「音楽をやっている」と答えた。

「じゃあ何か一曲やってよ!」と言われる。

何をやろうか一瞬迷った。
でも、ここは三上寛さんがライブをやるような店だ。きっと犬の川をやっても大丈夫だろう。

店にあるギターを借り、恐る恐る犬の川を歌った。

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或る人は涙を流し、或る人はのけぞる勢いで絶賛してくれた。

自分の曲で人からこんな反応を貰えたのは初めてだった。本当に嬉しかった。本当に。本当に。

居場所の無かった私は、以来同店のライブにまめに足を運ぶようになる。
お客さんとして観に行くたびに、お店の人が促して打ち上げで一曲やらせてくれた。

いつも犬の川を歌った。毎回プロの前で。

この状況はなんなのだろう。いつも思っていた。

・・・クリスマスにWCカラスさんという、富山のブルースの方がライブをするという。店の人に「君は絶対好きだから観た方が良い」と言われたので、いつものようにライブへゆく。

黒い空気の漂う富山の土地が見える歌。最高だった。裏日本だ。すごく分かった。

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また打ち上げで犬の川を。・・・歌い終えて目を開けると、カラスさんがボロボロ泣いていた。

「素晴らしかった・・素晴らしかった」そう言って固く握手をしてくれた。
「君、名前はなんて言うの!?鈴木諭!鈴木君、本当に素晴らしかった・・!」

私は秋田に帰る事を辞めた。
自分は音楽をやれる気がした。

もっとライブをやろう、もっと練習しよう、漸くそう思うようになった。
しかし弾き語りのライブ経験が全く無い私。どこに行けば良いのかも分からない。

たらまガレージは、私を受け入れてくれた。
だから店を探すにしても、三上寛さんが出るような店が良いんじゃないか。

寛さんのブログを眺めて、片っ端からググった。
無力無善寺という変な名前の店を見つけた。
他の店と比べても、HPも異様に見にくい上に変なことばかり書いてある。

が、何か気になった。高いノルマがある訳でもなく、出演料も安い。一度出てみることにした。

年が明け2023年2月、私は高円寺で初めて歌った。
・・・そして今に至る。

またここに通い始めてから、徐々に心の状態が回復し元気にもなる。
故に出始めの頃にしか会って無かった人には、一時期「雰囲気が変わった」と口々に言われた事も。

"運命"というものが、あると信じても良いのかも知れないと最近思ったりする。

たらまガレージも無力無善寺も、東北の先人である三上寛さんが導いてくれた。

同じ裏日本の人間のカラスさんが自信を与えてくれた。

私が東北、そして裏日本の人間である事には何かの意味があるのかも知れない。


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