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X(twitter)現代川柳アンソロ第3号鑑賞 ~二句立て~最小単位の連作~(3)

X(twitter)現代川柳アンソロ 第3号より惹かれた句に感想をつけてみました。

現代川柳は様々な読み筋が成り立ちます。もし、この鑑賞文を読んで、自分ならこの句はこういうふうに読む!というふうな、現代川柳の読みに興味のある方への「たたき台」になったら嬉しいです。ですます調とである調が混じる時がありますがご容赦を。

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桜見るあのこの分の桜見る
図書館の壁にも春か佐保姫か

小夏すず子 @suzukokonatsu


・季語縛り


桜の句と佐保姫の句で春の季語しばり。川柳には有季川柳という単語もあるようだ。ただ、有季川柳を基本としている結社やグループや句集などにはちゃんと出会ってないので、どういったニュアンスか(有季定型俳句とどう違うのか?)はわからないが。

通常の現代川柳の場合、詠んだ句のなかに有季定型俳句の世界では季語と指定されている単語があったとしても、その本意と離れた使われ方で詠まれていたり、たんなる発話のトリガー(きっかけ)としての単語に過ぎなかったりする場合もあるだろう。結果的に、有季定型俳句の放つ俳味とは違ったものになるのではないか?と推察される。

一句目、桜=死っていうのがやっぱり、まずは来る。桜の木の下に死体が埋まっているっていう有名な句が確かあったはずだよなぁ。引用したいなぁ。とおもって思い出せず、検索したら、

「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」
『桜の樹の下には』梶井基次郎 青空文庫

小説の冒頭部分が出てきて、ああ、この強烈な刷り込みだったのかぁ~と腑に落ちた。

書き出し小説っていう人気の投稿サイトがある。自分は参加していないので知ったかぶりして言っちゃいけないんだけど、自分の周りの凄いセンスの良い人たちが投稿でしのぎを削っているところを見るとハイレベルな発表場所に間違いないとおもっている。それでも書き出し小説投稿欄に「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」って、もし現代での投稿作品で今まで誰も表現したことがないという設定で出されたら、やっぱり間違いなく特選じゃない?って思えるほど強烈。書き出し小説中の書き出し小説なんじゃないだろうか?と、しらないのに思ってしまう。

ちなみに手持ちの川柳句集で探し回った時に再会した句に

さくらさくら埋めておきたいひとひとり 

なかはられいこ『現代川柳の精鋭たち』北宋社 p155


花吹雪ふわっといのち軽くなる

樋口由紀子『現代川柳の精鋭たち』北宋社 p191


落花の夢無数の窓があいていて

普川素床(ふかわそしょう)『現代川柳の精鋭たち』北宋社 p214

などがあった。

脱線したけど、桜=死のイメージは既視を感じる程強烈だということだ。
だから掲句の「桜見る」のあとに「あのこの分の」と中七が置かれていると、「あのこ」はもう死んでいるのでは?という読み筋に誘われるのだった。「あのこ」が作中主体にとってどのような関係(同級生、幼馴染、妹、後輩、娘、戦友的な共通の思い出を持つ部活仲間、職場の同僚、入院した時の同室だった子、などなど)で、どの程度の比重を占める存在(常に心中にある、ときどき思い出す、桜の季節だけ思い出す、などなど)なのかは隠されている。読者はそれぞれ、じぶんにとって思い当たる「あのこ」に置き換えて読むことが可能だろう。
人によっては、号泣するような共感や心を揺らすインパクトが来るかもしれない。静かな句の佇まいなんだけど、詩情に奥行きやエネルギーを感じる素敵な一句だと思った。

二句目、佐保姫(さおひめ)っていうのは、調べたら、
「春をつかさどる神。佐保山は奈良の都の東方にあり、方角を四季に配すれば春にあたるところからいう。春の女神。佐保神。さおひめ。《季 春》」goo 辞書より引用
って出た。他のサイトによれば、奈良の都=平城京らしい。そうすると、掲句中の図書館の壁は東の壁ということになるだろう。佐保姫だから、この東の壁に不思議なことに何故かいつも寄りかかって難しそうな古文書の研究関係の本を立ち読みしているスラリとした女性がいる。みたいなイメージが浮かんで、物語性がある句だなぁとおもった。

二句の間に、あきらかに関連させようとする意図は感じられないのだけど、「あのこ」「図書館」という措辞から、青春性やキャンパスっていう人生の春の時期の雰囲気が来るペアリングを感じたのだった。

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と、もう5句分くらい書こうと思っていたら、時間が無くなってしまった。あすは、横濱立弓庵句会という自由律句会があり、その句を詠まねばならないのだった。また時間があるときに続きを書きます。書下ろしなので、誤字脱字、文脈の矛盾などがありましたら、ご容赦を。あとで見なおします。
ではでは~~~

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