人間は「工業製品」ではなく「農作物」である(前編)

We have to recognize that human flourishing is not a mechanical process; it's an organic process. And you cannot predict the outcome of human development. All you can do, like a farmer, is create the conditions under which they will begin to flourish.
Sir Ken Robinson

いきなりタイトルから???だと思うが、人間が工業製品、というのはどういうことだろうか?工業製品というのは、規格があって標準化されているということである。
現代企業、特にGlobal Companyでは、Jobごとの設計図(= Job Description)を明確に定義し、標準化していくことに対して多大なエネルギーが注がれている。このアプローチは経済的には間違いなく成功をおさめているし、非人間的なように聞こえる反面ベネフィットも非常に大きい。また現代のような変化の速さでは、特に多国籍企業経営において避けては通れない道である。

他方、人間が農作物であるとはどういうことだろうか?農作物というのは、どんなに規格を揃えようとしても完全に同じにはならないということである。また、人材育成は工業製品のように同じ製作プロセスを通しても同じものが出来る訳ではない。DNAが近しい兄弟が同じ家庭に育って同じ学校に行っても全く違う人間に成長していく事実がこれを端的に表しているだろう。人材育成においてできることといえば環境を整え芽吹くのを見守るしか無く、非常に農業的である。(ちなみにこの辺の表現は私の二次創作も入っているが大部分は、冒頭に引用したKen Robinsonが教育に関して問題提起したTED Talkがベースである)

今回は、工業製品/農作物というメタファーを使い、現代Global Companyにおける人材育成/登用について迫って行きたい。

結論

今回も、忙しいみなさまのために結論を先に書こう。

これからの企業経営、特に多国籍企業経営では、工業製品のような規格統一はどの道できないのだが、Jobを詳細に定義して上でのJob Standardizationとマルチリージョナルオペレーションを実現できなけらばグローバル競争には勝てない。ただ人間は農作物のように一つ一つ形が違うので、大きくは標準化を進めつつも個々の事案では一人ひとりの違いを是とし、良さを引き出す活動は必須である。

ちなみにこういうことを書くと、そんなことをしたらイノベーションが生まれないとか異才が出てこないとかいう人がいるが、上記を徹底的に進めている米国ではイノベーションも異才も出てきているので、そのような批判は正しくない。そもそもイノベーションや異才は一定確率で出てくる異常値なので、今回のようにマス/ボリュームに対してどうアプローチしていくかという話と、確率に対してどうアプローチしていくかという話は、前提から違うという点は付記しておく。

人間の工業製品化/部品化

思い返せば産業革命以降、人間の工業製品化/部品化はずっと進んできた。今も工場などで、完全にマニュアル化された業務に付いている人もいるだろう。今回は話が傍にそれてしまうのでこの点について良い/悪いを語るつもりもないし、肯定も否定もしないが、事実としてそうであろう。

その点では、人間の工業製品化/部品化というのテーマは古くて新しいトピックなのだが、今は、ホワイトカラーにおいてリージョンを超えて起きているという点がこれまでとは違う。

現代Global Companyでは、各部署の、各Job LevelごとのJob Descriptionが明確に定義され、徹底的にJob Standerdizationが進められている。これを非人間的だと切り捨てるのは少し待って欲しい。これが出来ると、どこかのリージョンで欠員が出ても、即座に他リージョンから補填ができる。また、Job Descriptionがキッチリ定められていれば、このJobはインドで集約しちゃおうなどもやりやすい。

例えば、私は少し前まで、担当事業のSales Opearationsというチームの日本のHeadをしており、毎週グローバル側に対して業績見通しのレポートをしていたのだが、その基礎となるデータはインドのチームが集約してくれ、しかもUKのData Scientistのチームが「このKPI異常値出てるから見ておいた方が良い」とか「このKPI進捗が良くないからフォローが必要」とかのsuggestionまで出してくれていた。私の仕事は、そのsuggestionの検証や追加の分析をし、リカバリーアクションを考え、リーダーと合意形成を図り進めていくことだったのだが、こんなことができるのはJobが定義され、Staderdizationされ、リージョンを超えて業務がシェアされているからである。

先に触れたように、元々工場などでは業務の標準化は進められていたが、日本のスタッフが「ニューヨークで欠員出たらしいからちょっくらヘルプ行ってくるわ」とはならなかった。しかし今はホワイトカラーにおいて現実にこれが起きている。

人間は農作物である

農作物は、一つ一つ大きさ、形、味が異なりどれ一つとして全く同じものはない。スーパーに並んでいる野菜や果物もかなり規格が揃えられているとはいえ完全に同じではない。また、育てるためにすることと言えば、土や肥料を良くしたり、水やりや日光条件を良くしたりと環境整備が主であり後は芽吹くのを見守るのみである。
※ちなみに、じゃあ野菜工場はどうなんだと混み入った議論を持ちかけたくなる人がいた場合、私と気が合いそうなのでその話は飲みながらじっくり話し合おう。

どんなにStandardizationをしても、結局は一人ひとりの人間は同じにはならない。そのため一人ひとりの強み弱みを見極めて個別対応をしないといけない訳だが、この事実は簡単に忘れられる。

例えば、People Managementを例にすると、特に新米マネージャーにありがちで、私も昔この失敗をしていたのだが、AさんとBさんに同じ指示をしたら、同じアウトプットが出てきてほしいと期待してしまう。更に言うならば、この指示をもらったら自分だったらこういうアウトプットを出す、というのを相手に期待してしまう。これは人間一人ひとりが違うからそもそも無理なのである。もう少しプログラミングっぽく書くと、インプット→アルゴリズム→アウトプットで捉えたときに、アルゴリズムである人間が個々に違うのだから、同じインプットをしたら違うアウトプットが出てくるのは当然なのである。そのため、依頼者側には、どんなアウトプットが欲しいのかできるだけ具体的に伝えることと、受け手のアルゴリズムのクセを理解して指示の仕方を変える(インプットを変える)ことが必要である。

後編に向けて

ここまで来て工業製品と農作物の考え方は伝わったと思うが、では英語がめっぽう苦手でhomogeniousな組織の経営しかやってこなかった日本/日本企業はどうしたらいいだろうか?後編ではこの点を書こうと思う。

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