見出し画像

Prologue 旅の視点

忘れられない光景がある。私はフランス南西部を旅していた。
 17世紀末、徴税吏ピエール・ポール・リケの発案で完成したミディ運河は、ガロンヌ河注ぐ大西洋と、反対側の地中海を結び、ジブラルタル海峡を経ずダイレクトに交易が可能となる、当時の一大プロジェクトだった。19世紀後半に鉄道に取って代わられるまで、幾多の船舶がこの水路を通ってフランスは豊かになった。ボルドーワインの名を押し上げたのも、この水路と言っていい。
 現在は両脇にプラタナスの並木が続く景勝地となっている。2016年夏、初めてフランスに渡って目にしたミディ運河の光景は、今でも脳裡に鮮やかに焼きついている。
 それは、何の前触れもなく現れた。その日私は、トゥールーズからカルカソンヌへ移動していた。途中、カストゥルノダリーというところで列車は止まった。突然車内アナウンスが流れる。周りの乗客はぞろぞろと列車を降りて行く。よく判らなかったので駅員に聞いてみると、この列車はここで終わり、カルカソンヌまではバスでどうぞとのことで、他の乗客とともに駅前で専用のバスを待つことになった。そもそもトゥールーズ滞在中からこの路線はストライキで多くが運休となっていて、この列車も前日にやっとフランス国鉄のHPで確認できたのだった。
 駅前の広場で、待てど暮らせどバスはやって来ない。他の乗客は馴れっこで、本を読んだり、サッカーをしたり、皆が思い思いに過ごしている。結局一時間以上待ってバスはやって来た。これらすべては、フランスあるあるである。初めてのフランスの地で受けた洗礼を経た後に、その景色は眼前に拡がったのであった。
 カルカソンヌへの道中、バスはミディ運河治いをしばらくの間、ゆっくりと走っていた。運河といっても川幅は広くなく、対岸のプラタナスの列はすぐそこに見える。青空は僅かに覗き、何かの小屋なのか屋根が続いている。川面は周囲の緑に呼応して、きらきらと銀色がかった緑をしている。木の葉越しに届く光が伝えるコントラストは絶妙で、それはフランスを表していた。
 銀色がかった緑がフランスの色だと、チェコの作家カレル・チャペックが書いている。目の前の光景はその言葉と結びついて、私のなかでフランスを象徴する光景となった。フランスの洗礼をたっぷりと受けて、フランスを思わせる光景に出会う。それは忘れがたい、鮮烈な旅の記憶として、私のなかに深く刻まれている。
 
 
 旅にはいろんな視点がある。人は、その視点を得るために旅をしていると言えるだろう。それは前触れなく訪れる場合もあるし、何年、何十年とイメージとして醸成されて行く場合もあるだろう。一つ言えることは、そこに何を見ようとも、その視点は、その人の人生に結びついた、切り離すことのできぬものであるということである。
 どこを巡ってもいい。知る人ぞ知るとか、その人しか知らないなどという必要はない。お決まりの名所であろうと、旅する人の数だけ視点はある。重要なのは、何を見たかではなく、何が刻まれたかである。刻まれた心の皺は、大きくも深くもなり得るが、やがて心の底に沈んで行ってしまうものもあるだろう。しかし底に沈んで何年経っても、何かの拍子に浮かび上がることはある。ただ見ただけで皺として刻まれたものでなければ、浮かび上がることもない。
 私は少年の頃から続いた飛行機嫌いが災いして、長い間フランスはじめ、ヨーロッパを旅することは叶わなかった。しかしその間にもフランスは、私の中で大きくなり続けた。それはセザンヌの山であったり、コルビュジエの礼拝堂であったり、地中海の光であったりした訳だが、それらをまとめて見る機会が2016年にやってきた。一ヶ月かけて旅をしたあの時から、積年の重石は取れ、ヨーロッパを訪れるのが楽しみになった。あれだけ怖かった飛行機も今では理性的に捉えられるようになった。
 そんな私が初めて訪れた16年と、19年に巡ったフランスを、サッカー、絵画、建築、街めぐりなど、あらゆるテーマを私なりの視点から、その思いと体験を書き起こしてみた次第である。一日じゅう、常にアンテナが張っていて、全身の毛孔という毛孔が開きっぱなしの毎日だった。私にとってそれは、かけがえのない体験となった。
 人は旅の空想を膨らまし、実際に旅をして、その記憶は刻まれる。遠くであろうが近くであろうが、人はそこで何かに触れ、新しい気づきを得たり、人生的なものが刻まれたりもする。人生は旅であり、旅は人生である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?