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地中海へ 〜南仏アラカルト〜 アルル、エクスアンプロヴァンス

 アルルの駅は街から少し離れている。駅から街へは、湾曲したローヌ河岸を歩いて行く。そこは、ゴッホの「ローヌ川の星月夜」の舞台である。夜になると川面いちめんに、対岸の家々の灯が発する帯が幾筋も浮かび、天上には無数の輝きがある。私が歩いたのは昼なので、想像で補うしかない。
 街なかの広場まで来て思わず、あっと私は叫んだ。目の前に黄色いパラソルのカフェテラスがあったからである。こちらの絵の舞台も夜の光景ではあるが、昼でも一目で判る。絵を見た者ならば、ここを訪ねた誰もが、ゴッホの絵を思い浮かべるに違いない。
 1888年2月、アルルにやって来たゴッホは、憧れの日本のイメージを重ねて精力的に制作して行く。10月にはゴーギャンもやって来て共同生活が始まる。しかし二人の関係は、しばらくすると意見のくい違いから破綻する。
 この生活の中で、ゴッホはゴーギャンの椅子を描いている。そこには、蝋燭と彼が愛した本が置いてある。共同生活の後、人生も破綻してしまうゴッホだったが、後にゴーギャンは遠いタヒチの地で、ゴッホを思い出しながら椅子を描いている。椅子の上には、ゴッホの象徴とも言えるひまわりが描かれてあった。16年秋に東京都美術館でやっていた「ゴッホとゴーギャン展」では、二人の描く椅子の絵が、隣り合わせに並んでいた。
 私はいつだったか、ゴッホの若い頃、オランダ時代の暗い絵を観た時に感じ入るものがあった。それらの絵からは、ゴッホの言葉が滲み出ているように感じられた。彼が弟に送った手紙の数々は一編の文学をなしているが、彼の絵の中からもそれが感じられた。パリに出て印象主義を吸収し、アルルで色彩が爆発した。ゴッホの絵が持っている言葉は、色を得て奥に引っ込んだ、と私は思っている。しかし言葉は隠れても、情念は奔出する。
「セザンヌは絵画に生涯を捧げたが、絵画はゴッホという人間を呑み尽くすことはできなかった」という小林秀雄の評ほど、ゴッホを言い表しているものもないだろう。
 彼の描いた黄色いカフェテラスは現在、店に集う客の狂気を描こうとした絵とは違って、明るく健康的な雰囲気のなかにある。
 
 
 ゴッホのカフェのある広場から少し歩くと、オベリスクのある街の中心の広場に出る。アルルはローマ帝国の一大拠点として発展した町で、劇場、円形闘技場、浴場などの遺構があちらこちらにある。
 往時フォーラムだった場所がこの広場であり、そんな古代遺跡の点在する街の中心に、中世ロマネスク様式の傑作、サン・トロフィーム教会はある。といっても決して大がかりな大聖堂の類ではなく、簡素ながらところどころに精細に刻まれた彫刻と、静謐な回廊が美しい教会である。
 この地域のロマネスク教会建築に特有の、制限された光を通した空間に、様々な彫像が浮かび上がっている。中庭に溢れる光を感じながら、柱に精細に浮かぶ彫像を見つつ回廊を一周し、私は外に出た。光の中にある回廊と鐘塔は、時が止まったかのように美しかった。
 アルルのバスターミナルでは団体客を乗せたバスが横付けし、次々と吐き出されていた。こういう遺跡の多い世界遺産の町というのは、どこも似たようなところがあるらしい。面白いもので、そういう集団の歩く通りは観光スポット近辺の表通りに限定されていて、一つ裏路地へ入るだけで、そこには普段着のアルルが横たわっていた。
 私は石壁の小さなアーチを潜り、ひっそりとした道を歩いて行った。どことなく無愛想な表情をした家々が肩を寄せ合っている。しかしところどころに、いかにも自然な感じで花が咲いていて、のっぺりとした壁にワンポイントの青い窓と見事に呼応して、南仏の素朴な路地の雰囲気を醸し出していた。
 さらに歩いて行くと、出し抜けに巨きな円形闘技場が目の前に現れた。点在する古代遺跡の間を埋めるように、普段着のアルルの街は呼吸をしている。
 
 
 エクス・アン・プロヴァンスは私にとって特別な町である。そこに行けば、セザンヌに会える。もちろん生身のセザンヌには会えないが、セザンヌの視点を自分も辿ることができるからである。セザンヌを目当てにこの町を訪れる人は多いだろうが、それを抜きにしても、街の通りを歩いたり、広場で休んだりして街に浸かり、その雰囲気を感じるだけでも、この街に来てよかったと多くの人は思うだろう。
 16年の初来訪時は一週間をこの町で過ごしたが、セザンヌ関連以外では、マルセイユや他の町を巡ったり、午後からはサッカーユーロ国際大会の観戦をしたりしていたので、美術館などには行けず終いだった。私にとってはエクス周辺はやることが多いし、エクスにいたらいたで、広場のカフェなどにいるだけで、他はもうたくさんという気分になってくる。
 19年の再訪時には、三年前に毎日のように通った、旧市街の中にあるリシュルム広場を体が憶えていた。ミラボー通りから旧市街の中を、次々と出現する噴水が目に染みながら、小刻みに入って行く時の愉しみを、今も私は昨日のことのように思い出す。また、ルート・セザンヌと呼ばれる、セザンヌの絵の舞台である山、サントヴィクトワールへ通ずる道も、いつ訪れても他では得られない感動と興奮が私を襲う。コロナ明けの23年にもこの地を訪れ、山の間近に歩いて迫った。
 エクスは居心地がいいが、モンペリエや、トゥールーズなどとは少し違う。それらの街は賑やかで活気があって、街の人も優しいが、エクスはもう少しブルジョワに寄っている。といってもパリ16区のようなスノッブな、嫌な感じはない。ゆったりと落ち着いた感じ、それが十全に行き渡っているのである。なのでこの街はクラブなどの盛り場を必要としない。夜零時近くなっても、広場は十分に気持ちがいい。ただ空が黒いだけで、昼と少しも変わらない享楽さが、この街を支配しているのである。
 ちなみに旅でエクスを拠点とした場合は、移動は鉄道よりもバスの方が便利である。鉄道だとマルセイユにしか出られないし、本数も少ない。街なかから少し歩いた所に大きなバスセンターがあり、各方面に頻発している。

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