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いざフランス、トゥールーズへ

 2016年6月9日。私はエール・フランス機の中にいた。モスクワで乗り換えたその飛行機の搭乗者は、フランス人が大勢を占め、まろやかな響きが機内に行き渡っていた。折からの強い西陽で辺りは眩しく、機内販売のワインの芳香がそこかしこに漂っていた。
 そんな、西陽とワインとまろやかな響きの交錯したエール・フランス機は、シャルル・ド・ゴール空港に向けて着陸態勢に入っていた。
 私はいつもここで緊張するのだが、周りのフランス人もどういう訳かそれまでの賑やかな雰囲気からは打って変わって、皆、神妙な面持ちになっていた。フランス人も私と同じように飛行機が苦手なのだろうか。中にはそういう人もいるだろうが、そうではないことがこの後判った。
 着陸の瞬間、静まり返っていた機内はドッと沸いた。突如として拍手が沸き起こったのである。それは割れんばかりの強烈な拍手で、この後フランス国歌の大合唱でも始まるのではないかと思えるほどだった。
 130名もの死者を出した前年11月のパリ同時多発テロ事件を皮切りに、当時フランス界隈には不穏な空気が流れていた。そんな中、翌日の6月10日より一ヶ月に亘って、サッカーのユーロ国際大会が催される。大規模なイベントである。非道な連中がここぞとばかりに狙ってくることは、衆目の予想しうるところだった。開催国フランスの厳重な警備体制もあってか、ユーロは大きな盛り上がりの中、無事開幕した。
 私もこのイベントに合わせて、ユーロ期間中の一ヶ月丸々を、かねてより念願だったフランスで過ごしてやろうと、はるばる馳せ参じたのであった。フランスを反時計回りに一周し、これまでに胸に描いてきた想念の世界を、ことごとくこの眼に収めてやろうと。
 翌朝、空港近くのホテルを出た。昨晩はよく眠れた。ヨーロッパへのフライトは夜着便と朝着便があるが、私は夜着便の方が頗る調子はいい。飛行機でぐっすり眠れない私は、朝着だと現地で寝不足のまま時差ボケ旅行がスタートすることになる。一方夜着だと、そのままホテルのベッドで眠れる。一晩で時差ボケ一発解消、目覚めのいい朝を迎え、大事な旅のスタートを切ることができる。思った以上にこの差は大きい。
 近郊線とメトロを乗り継ぎ、パリ市内のオーステルリッツ駅へ。ここから列車で六時間かけてフランスを北から南に大縦断、ピレネーに近いトゥールーズを目指すのだが、何とストライキ。着いて早々にフランスの洗礼を受ける。
 振替列車に乗るため、駅員に案内された通りにバスでモンパルナス駅へ移動。この時バスの車窓から、初めてパリの街並を見る。石造りの建物も見事だが、高さがきれいに揃えられている。次から次へと流れてくる車窓すべてが美しく、それは感嘆の光景であった。日本の街も部分的にはこういう景観を残すところもあるが、ここまでの連続した統一性はない。まさに夢みてきたフランスが、目の前にある!
 モンパルナス駅でTGVを待っていた時、ここでも「フランス」を体験する。フランス国鉄では乗る列車が何番線から発着するか、直前にならないと判らない。つまり駅中央の案内板の下に群衆が集結することになる。そして発車が近い列車から、唐突に示されて行く。すると、部隊が出動するかのように、めいめいが各自の乗るべき列車が待つホームへ大移動する。
 私はこれから始まる旅に高鳴る鼓動を感じながら、列車に乗り込んだ。
 
 
 ーふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 
 萩原朔太郎が詠ったのは凡そ100年前。その頃に較べれば、現在のフランスは格段に近い。行こうと思えばその日のうちに、遅くとも翌日には着ける。しかし私は、なかなか飛び立てないでいた。海外へは会社の研修旅行などで行くのみで、個人旅行、しかもヨーロッパとなると、そう簡単にはいかなかった。
 そんな折、ユーロ2016がフランスで、しかも出場国が増え、三週間だった期間は一ヶ月に延びるというニュースが舞い込んだ。フランスで、一ヶ月。この事実は、私の胸を熱くした。サッカーのユーロ本大会を現地でいつかは観戦したいと以前から思っていた。まさに機は熱していた。
 と同時に、私の胸に去来したものは、それまでに刻み込まれてきた、私の中のフランスのイメージだった。それは、セザンヌの山である。エクス・アン・プロヴァンスと、そこから見えるセザンヌの絵のなかにある山。それは、コルビュジエの礼拝堂である。フランス東部地方の辺鄙な場所にある、写真で見た時から忘れられない礼拝堂。それは地中海の青。それはストラスブールの空を突く、大聖堂の尖塔。さらに、自転車競技で有名なツールドフランスで流れてくる映像も、彼の地フランスへの思いを強くした。
 まさにこのタイミングしかない。このタイミングを逃したら、一生、海外に出られなくなる。もう飛行機嫌いを言い訳にはできない。2016年夏に、俺は必ずフランスへ行く。何としても、そこでフランスへ行かなければならぬ。そう自分に言い聞かせた。
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
 気分は松尾芭蕉だった。
 予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘味の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、シャルル・ド・ゴールの検問越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸するより、セザンヌの山、コルビュジエの礼拝堂、地中海の青、ストラスブールの尖塔、これらまづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り……
 とにもかくにも、いざ、フランス‼︎

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