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マネのパリ②

 私はオランピアの前にいた。横たわる裸婦のモデルは、マネの作品によく出てくるヴィクトリーヌ・ムーランである。右に使用人風の黒人モデルが花束を持ち、その横では黒猫が尻尾を立てている。物語の舞台でも神話でもない。構成は一応、ティツィアーノなどの古典に材を取ってはいるが、白いベッドシーツとその上に横たわる裸婦はいちめんに明るく描かれ、しかも肉体のヴォリュームはない。その辺の若い小娘が我々に向かって裸体をさらけ出している印象を覚える。
 フランスの哲学者ミシェル・フーコーは著書「マネの絵画」の中で、光源が前にあると書いた。それまでの絵画は右なり左なりどこか別のところに光源があるが、オランピアは前から光が当たっているので、まるで絵を見る人が暴いているような感覚になる。
 私は画面を見ながら、時代を拓いたマネという画家に敬意を持つとともに、やっと出会えた感動に酔いしれていた。
 オランピアは特別展の会場の真ん中の部屋の正面にあり、大きな位置を占めていた。
 同じ部屋にはセザンヌの「モデルヌ・オランピア」もあった。裸帰のシーツを使用人の黒人モデルが勢いよく剥がし、それをセザンヌ本人が見ている。黒猫は黒犬になっていて、露わになった裸婦に驚くセザンヌを見ている。
 当時、仲間の画家からも何じゃこりゃと言われたらしいが無理もない。現代の視点で見ても何じゃこりゃである。この二つの作品を同じ部屋で観る機会もそうそうないだろう。
 次の部屋にはゴーギャンが描くオランピアもあったが、この方はただの劣化コピーという感じしかしなかった。こういう機会でなければ展示されることも少ないだろう。さらに進んで行くと、マティスの切り絵にも黒人モデルが描かれる。
 オランピア目当てではあったが、特別展はオランピアだけではない。一級の絵画から歴史的な資料なども含めて、近代絵画において黒人モデルがどう描かれてきたのかを辿る、実に意欲的で面白い内容だった。
「オランピア」と来れば次は、「草上の昼食」である。エレベーターで五階に上がると、急に明るい空間が展ける。すると、まず目に飛び込んでくるのがマネである。
 印象派の殿堂と呼ばれるオルセー美術館の最上階には、それらの作品がずらりと並ぶ。美術展の目玉になるような名作が次々と押し寄せてくるので、すぐお腹いっぱいになってしまうが、その五階の最初に登場するのが、マネの草上の昼食である。印象派はここから始まるとばかりに、颯爽と登場する。印象派はマネなしではあり得ないが、厳密に言えばマネは印象派ではない。しかし印象派への扉を開いたマネの草上の昼食がここにある意味は大きい。
 画面は大きく、明るく非常にとっつきやすい絵だが、よく見ると変なことになっている。手前側に男女が三人、草上に座りピクニックを思わせる。右にマネと思われる人、左にヴィクトリーヌ・ムーラン。なぜかムーランだけが全裸である。しかし奇妙なのはそこではない。奥へ視点を移すと、手前の三人とは何の脈略もない一人の女性が憩っている。この二つの場面は、同じ場所にあるはずなのに、まったく別の風景として描かれている。
 そう思わせるのは光の当たり方である。手前の三人はオランピア同様、正面からなのに対して、奥の女性は別のところに光源があり、伝統的な描法が採られている。つまり一つの絵のなかに二つの絵があって、それが見事に溶け込んでいるのである。それはそのような奇妙なものも包含して、一枚の絵として絶妙な何かを観る人に与える。
 再び一階に。正面から見て左手中ほどに、マネのエリアがある。代表作がずらりと並ぶ。以前に日本の展覧会で観たものも多く、ここでまとめて再会を果たす。
「笛を吹く少年」は、国立新美術館の14年オルセー展の目玉で、その時は最初の部屋にあった。観る者を惹きつけるこの存在感。
 オランピアはもちろん、花や静物の絵にしても、マネの絵には存在感がある。絵の存在感とは何だろう。題材など何もなくても、絵それだけを観て惹きつける何かがなくてはならない。後に近代絵画の父と呼ばれるようになったセザンヌはこう言っている。
 ー描き始めるときは、いつでもマネのように絵具をたっぷり塗って、絵筆によって形態を生み出すことを求めているのです。
 奥に進むと「バルコニー」がある。これも見れば見るほど不思議な絵で、配色も形態も絶妙である。三人の人物の前にあるバルコニーの鉄柵は鮮やかな緑色で、縦横に線が続きそれが画面の下半分を占めている。奥にある部屋は暗くおぼろげで、この絵もまた二次元性が際立っている。その間にいる三人の人物は、それぞれが別の方向を見ている。実に奇妙だが、それが絶妙さを生み出してもいるので、これこそが絵画だと思わせてしまう。
 左の女性はベルト・モリゾで、マネの絵にはよく出てくる。オルセーだけでも、モリゾをモデルにした作品が数点ある。本人も画家として多くの作品を遺している。ちなみに19年夏は、オランピアのある黒人モデル展とは反対側で、モリゾの特別展が催されていた。一つひとつ観て行くと、改めていい画家だということが判る。

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