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演繹法をもう一生、理解できなくてもいいや。太平洋を、シャーレにおさめて、季節風で希釈すると、抽出される魚の群れ。瞳孔から産まれた具体例が、見る、という行為を、波間に、還そうとしている。姉たちの背中の上を、散歩できていた時間がすぎると、汽水域の恋愛は、激しい素数の姿でとおりすぎる。

悪意がないから尚更たちがわるい腐葉土は、果実のなかに無理やり入りこもうとします。 静かな書斎を探していたのでした。にぎやかな兄妹が多い腐葉土は、死が近い場所で、小説を描きたかったのです。 そうして誰も望んでいないのに早くに成長して、死んでいくまでの物語を、押し付けるのでした。

腐葉土は、孤独がきらいなフリをしていました。孤独が、美しい異性だったからです。象徴や比喩は、男性で、身体を大きく魅せながら、木の、地面からむき出しの根に腰かけています。一日に花の種を食っていい個数を確かめながら生が、二歩前を歩いていなす。ときどき触れるけれど、肌触りが良くなくて、

、生から離れたくて腐葉土は、花壇にいる友達のフリが上手なレンガのところに寄る。腐葉土は手を洗いたくてたまらない。ところで雨の、地面を打つ音は、忘れる、きっかけになるが、
生を、詠嘆のなかに煙らせるには、通り雨の向こうの、かすかな面影になってもらう他ない。そうして自分も雨を浴びて、他者をたくさん混ぜ、生を、薄めたい。

ふれたとたん、わすれる、たやすく、とても、しろく、はじける、さける、こめかみを、ひらがなの、ゆびさきで、いせいの、おこしかたを、おもって、たいもうに、ふれる、ふるえる、さかなでしないよう、まのびした、霊性に、かんかくを、ゆだねなければならない、たにんの、あらすじが、こびりついて、
だれの、たいえきの、うすまった、すがたで、こんどは、じぶんを、濃縮させているのか。欲情を丁寧に編み込みながら、あらすじの三行目で、思考を停める快感をあじわいたい。種を播いたわけでもないのに、予期せぬところから芽を出して、手順のことを思う。調味料。ゆるさなくてもいい人がいる。

5月の太く丸い鉛筆。水田を、翻訳する。水面の、あやまりたい気持ちに寄り添う。熱冷ましをのんだあと、自分の吐息でなくなった。ものがたりが、ひしめいているから、まだお外には行けない。砂浜の静けさで、詩集の余白が、埋め尽くされればいいのに、貝殻を集める遊びさえすでに、文脈に組み込まれて

海岸に降りると、劣等感が、砂浜になってくれる。地球上の、水平線をすこしずつ、手に入れると、しずかな離島を、嘔吐するようになる。無感覚に、存在することを、理想にする。それは、詩の一行を、散文すること。道徳が、丘の墓からわいてくる。意味以前の声音をゆるめる自由を、赦す異性でありたい。

折り畳み傘を再び開くと昨日の、やさしい雨のしずくが、温く残っていた。ある季節に海岸は、夜の冗談だった。貝殻の表面の筋が、等高線の続きになっていくのがわかった。動脈のそのままの色で、クーデターをおこすことをやめず、その波音は、動物の骸をもとめて、安定する事がなかった

過去が、未来を、とりこむ。切り傷の、遅れてくる痛みのように、梟を、身籠る。折り紙の、角をあわせていく手付きに、みとれるようになる。やさしく育てた悔恨は、懺悔すると、そのものから少しずれる。吃り、口のなかの言葉にならなかった呼吸のかたまりこそが、畳まれる折り紙の、下の紙です。

焼き魚の身を、ほぐしてあげる。小骨を、見極めるための箸。言葉よりも具体的な、手指の使い方だった。読みかけの詩集にはまだ、午前の水田が挟まれている。水田という詩の一編から、一行は盗まれ続けて、あらゆる詩があたらしい。水田はいたるところに肺を隠しながら、語感にも記憶として隠れている。

蟋蟀は渇いた畦道の、ささやかな随想だった。眼球で、聴く、朗読。記憶の、体温が、無数に、吐き出される。いつの間にか、他人の息を、していることに気づく。語感のなかにあった幼少の体液が、乾きはじめて、無声映画の、時制を生きる。読書の先には、苗が潜れる程に、湛水した水田が広がっている。

だれかの骨で、植物が、育つ。次の季節の下書きを持ちながら、関わる生き物の記憶まで吸い込み、成熟する。重力にすら届かない何も殺せない手つきで、さしてあげたい目薬があった。孤独な握力だけを、滴らせるために震える。雨の日の踏切の待ち方では、隠喩を、自覚しないで吸い込む肺が、縮む。

故郷の遊び場では、今の輪郭へ、過去が追い付くのを待ちすぎて、今の記憶からもだいぶ遅れ、薄れていく霊魂の時間が、名を持つほどでもない風よりも、ながれている。海水のような夜、網膜のままに信仰する。いずれ、記憶は、水晶体に、泳ぐだろう。果物を、盗む。少しでも、罪を、大きくしたい。

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