【過去作品】 母が恋愛していた頃
男の人の暴力が虹のようだと、知っていたから母は、夕暮れに失語しながら、不眠だった夜のことを手帳にのこしはじめた。私たちの耳は、くすぐられるためにあったという。それはとても薫風のように。母による私たちの、後ろ姿を見失う、という行為が無意味なまでに、美しさを孕み、大きすぎる靴を私たちが履き、ぎこちなく歩くのを喜んでくれた。母は、窮屈になるまで爪先の、その先の空間に、夏を、つめこもうとしていたから。季節によってその、中まで濡れた靴を履き、音をたてて歩くのを母がみていたことがある。とてもおさない、かんしょく。いつか、そのときの靴底であじわった開き直りかたを、同感してくれる人の友達になりたい。体現止めする機会を、うしないつづける声のかたち。利き手でないほうで、とても未完成に手を繋いでいると、一つの臓器にすぎなかったころの、胎内の記憶に触れてしまいそうになる。それは、見過ごされる詩の一行のために、光に選ばれたもののみの孵化。母はそんな記号からも、はるか以前の、とおい音読に耳を澄ませている。
かつて恋人へかしてあげたパーカーにまだ、自分の胸の膨らみの、記憶が残っているとわかっていた母は、硬筆だけで自分の精神を、描かれるべき少女だった。名前を忘れてしまった人でも、耳のかたちだけは覚えておける。少女は、誰かの不安な姪であり、不在だとなお愛おしくおもわれて、この世の空耳かもしれなかった。すこしでいいから毒を飲みたくなったときの少女の、その後の後悔は偶数のように整いはじめて、自分だけの遠近法で、詩集を終わりから読むようになる。少女だったころの母の顔からわかる尿意は美しく、身体のどこまでが形容詞であらわせるかわからない。そして少女の恋人は自分の宗教を、原文の脱字のまま勘違いし続けて夏風邪の、苦しさの綴りかたさへわからなかった。きっとそのときから少女は盲目に、河川を着させられて、遠くの肺呼吸が異なる物語につながることがある、と知るようになっている。それは、とても汽水に近い、まだ冗談にも似た魂の童話だった。冬の流木。魚が、地球からの続きだとしたら、波浪注意報は、きっと少し宇宙に近い言葉だと思う。重力からとても自由になる瞬間の遺体にそっと清潔な、川として寄り添わなければならなかった母は、幼い頃の蚊帳の記憶を今の、白内障のなかに置き忘れて、子どもらしく乞音しながら森林が、激しくなるのを感じていた。月明かりや、捻挫をのみこんでにわか雨は、降るたびにかすかな音のする忘却を、引き連れてくる。恋人のホクロを、少女だった母は借りたい。油絵の具のしたたかな存在感を、余白に埋め込むみたいに。
割りきれる割り算を解くように、町中の弟たちの、祝福された名前がならぶ。神様に逆らうことが、一瞬だけ赦されてしまうような、そんな平仮名。まだ喃語と、地下でつながる伝え方を雪の下に、やわらかく埋めてから未熟な、精神もそっと冬のなかに隠してあげたくなる。まだ幼くても母はそのときだけ、名前のない世界でも、労働することを厭わない、と思えた。干し草をつむかけ声にだって、生活する意味が交錯していると感じた母は、季節を丁寧語で誤解しながら、少しずつ生きようとしていた。植物の根を、できるだけ傷つけずに引く抜くことが自分の、使命かもしれないと思いながら、仮病と聞いても、歯を見せて笑ってあげる。そして心象の弟たちには、この森林のなかでなら政治犯を気取っていてもいい、と言えた。草の先をはじく。ふわっと、花粉なのか小さな虫なのか、わからないほこりが舞う。今なら名付け親のいない、この色のついた空気から革命を、ひきおこせるかもしれない。もっと孤立するために、おかそうとする罪になら口づけを、交わしてあげる。年上の友人を、訪ねるときの興奮だけは、あらかじめ教えてあげてから、動物園から何でもいいから、動物が脱走するのを助けようと思っていた。そして動物たちに、孤独ではない平仮名の、名前をつけてあげたい。
これは、佳作になったや~つ~(#^.^#)
まだまだがんばるぞい。
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