〜六月十一日
水流には、心がいくつもあって他人の、指先の切り傷を、望み、そこから繋がる肺の虚空に、風の到達点が運ばれると、会話のいらない配偶者が、夏野菜を先に食べている。
夕暮れには方言が、番茶のなかに深く沈み、孤独の成分が、水面の味を薄くしている。
父親と、月経の距離。生命にならない半液体がつくり出す地面に、腹を上にして臓器で、脈動を聴く父親は、進んで埋もれるようになる。
親爺の腹のほうから
古代の神々の豊かな不安と、現代人から放たれる現在の屁が、繋がるために虚空があり続ける。風が衰えるころ、誰かがまた屁をこいて、風の一部に含まれると、わたしは鹿に生まれ変わり、
ようやく想う。
人である限りは、重力に所有されているはずが、
帽子のなかから、きっと蚕の夢をみる。あの不安な匂いをかいで、人の手のひらでだけ、生き始めようと決める。
屁の精は、髪の毛を咀嚼して、人に無重力を与えて、
樹木は、明るいうつ病だった。
徴用
徴用でとられてから、空襲を逃げてばかりいた。
認知症になった爺さんの、納屋の奥には、一緒に徴用にとられた磯部部落の、浅倉さんが
歯を見せて慄えているという。
心だけの、瞳孔のいらない空間に
横切る鼠
慄えながら、馴れない敬礼を返している
浅倉さんの、右の親指が、潰れているのは、
油差しの手順を、過ったからではないですか
手の甲にのこっている機械の、軋む音の違和で、
干柿の種を、穿る。
おそらくは早番の、鼠が、大砲の部品を運ぶと、
行き着く籾糠の部屋に、
横浜がひろがっている。
盲腸の手術痕の、切開の角度で、続く地面があるから、この惑星のことだとわかる。一度は、内臓に覆われたその実だから異性は、また9月下旬の裏側で、干し柿の種を穿って
仮に、大人のりんご病に罹る。
どこから身体が、発生したのか。引力の、手前の重さが、慰めている。
内臓から順に、虚空が、引き取り始める。
いくつもの肺があった。
茶色い小便と、じゃんけん、する夜。あいこだったら、水をのむ。
自分の耳が、見つかる恐怖。低い声で、嘗められる肺が、天井にある。
原木しいたけが、人工林にゆっくり騙されている。木々が創り出す闇は、
戦争映画を、木枯しが運ぶ。陰影だけを映す映画監督がいて、
自分が死んでいることが永遠に、わかっていない。茸を食べることは、たんに現象を咀嚼しているに過ぎないことで、
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