むかし書いたエッセイ。

「農村大盆踊り大会」

 陰毛が生えたのはいつだったか記憶していませんが、叔父が言うには、役場で実印登録するのに、象牙の判の隣にしっかりと色のついた毛をテープで留めて窓口に届け出る。それが助役に認められてようやく大人であり、でなければローンも組めねぇとのことでした。明らかに叔父は、酔っぱらっておりましたが漠然と話を聴いていた私が、炬燵の中で筒のようなものに触れてしまう。叔父の義足でした。その時の私の、あっという感じ。それにしっかりと気付いているものの叔父の、うぶ毛をみるような柔らかい目線の配り方。熱せられた筒の、金属の温度と硬さ。会話と炬燵の中では、密度が異なる時間が流れていました。その時間は、炬燵から細い指を伸ばして、漬物の臭いのように二人の間に漂い、わざと散らばらせていた二人の視線を、纏めあげる悪戯をするようでした。思い出す叔父の、義足だと感じさせないようにする歩き方と佇まい。そうして特に印象深かったのは、叔父の盆踊りでした。首を斜めに傾けた仕草が堂に入ってキレがあり独自のものでかつ、輪に溶け込んでいるのでした。年季という言葉だけで片づけられない何かがあると思わせる。そんな踊り手達の輪が廻り、続いて舞っていたのが、よく金をくれる婆さんでした。親戚でもないのに理由なく金をよこすのが不気味だったことを覚えています。もらった五十円玉を握りしめ、駄菓子屋にいくといつもの麩菓子が、なぜか不味く感じるのでした。直角に腰が曲がっている婆さんは、小柄でもあるので地を這うような盆踊りになり、ただ足腰が強いのか乱れのない小刻みなステップです。ある日のこと「蜆をとりにいぐで」とバケツを持ち、沢にわけ入ったきりもう戻ってきませんでした。少年の私は、その最後の言葉を聞いた記憶があるのです。その後ろでは、長身の爺さんが踊っています。爺さんは姿勢よく端正な身なりです。ただこの人には、内臓の一つが無いという噂がありました。昔、蚕屋でもないのに、行商相手の遊女にいれ込み、それが女房にみつかって追い回され、出刃でブスリ、とのことです。確かにその舞い方は腕と指が長く、しなるようにみせて手首の返しが艶やかでした。このように農村は今も、皺の深い生と個性的な踊り手で溢れています。私の財産はこの田舎との関わりしかありません。ならばそれを素材にして自分だけの盆踊りを踊り狂いたい。そう思うようになり、その表現する舞台を詩に求めるに至りました。ですから私の詩はなりふり構わない泥臭い盆踊りです。中年がみすぼらしく舞う姿を、お赦しください。

多少、意味の分からないところもありますが、まだまだ未熟ものなので、見逃してください。三年前…にココア共和国という詩誌によせた詩についての、エッセイの原稿です。ココア共和国について、過去号もおすすめです。



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