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あれから

10年前のあの日、渋谷のバスターミナルの人の渦の中に私ははいました。
すごく寒い日で震えながら2時間バスを待ちました。
とても長い時間を寿司詰めで過ごすことになったバスの車内では、当時まだ少数だったSNS利用者が数人「津波だって」「火災?」「東北だめらしい」と断片的な情報を周囲に漏らしていました。誰もが何が起きているのかよくわからないままで不安な空気の圧みたいなものがバスの中をすっかり覆っていました。
バスを降りられたのはそれから3時間以上たった夜10時すぎ。普段は使わない自宅から10分ほどのバス停から歩いて家に着き、ようやく家族と再会し三人で抱きしめあって心を落ち着かせたのも束の間、テレビの画面をみて初めて現実に起きていることの惨さを知りました。
あれから10年、息子は12歳になりました。家族はみんな無事です。コロナ禍でもなんとか生きています。

こんな言葉を今日書くと不謹慎かも知れないけれども、「死」というのは私にとっては今でも理不尽な出来事です。
「死」ぬ人と「死」なない人がいて、何が違うのかよくわからないけれど、私はこの世に生かされていてさっきまでそこにいたあなたはこの世から消えてしまうってことが未だに受け入れがたいのです。死ぬのが怖いというよりも「なんで生きてるのかな」と時々漠然と思うのです。

でもね、それでも明日はきっと今日とは違う風が吹き、新しい太陽があって通り雨が降るかもしれなくて、そんな世の中の花鳥風月を毎日肌で感じて生きていくことはやっぱり愛しいし美しい。
だから今ここに、自分と家族と友人と大好きな歌や物語と美味しい食べ物とお喋り、泣き声や笑い声と一緒に生きていられることを大切にしたいし愛したい。そんな風に生命を感じること、それが亡くなった人たちへの餞になると信じて今日も生きています。



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