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新コロな宇宙。(ありふれた時間が愛しく思えたら)

5/15、金曜日。兵庫県がどーなったかというと、“バーやナイトクラブなどの夜の接待を伴う飲食店”は変わらず休業要請である。ふむ。相変わらず堂々と告知できぬかもせぬ。まあ法的に規制がかかっているわけではないのだが、こちとら気分は闇営業である。自粛警察とやらも今のところ無い。話で聞くと4月上旬には三宮でもそういうことがあったらしい。マジか。。信じられない。それは本当だったか。。しょーもない人々。まあこういうときは僕みたいに特に横の繋がりを重視せず、もともと一匹狼でペロンとやってるのが功を奏するかもしれない。いいもわるいもない。もともとそういう人間だし、それ以外にやりようもないし、そもそも社会にとって自営業の存在意義はそこにこそある。経済活動にナマの人格が反映されること。。そうさたぶんね。で、今日も営業した。6時半から開けて、ちょっと忙しくて、結局12時過ぎまで煌々と明かりをつけていた(そのへんもうちょっと気にすればいいのにねえ)。嬉しい。

緊急事態宣言の解除や緩和以来、今は社会全体がボーナスタイムというかアディショナルタイムというかオルタナティブタイムというか、そのような特殊な時間/期間でもある。社会も不安定だし、市民も普段通り振る舞おうとしても薄々は根本的に通常モードではない。もちろん僕もそうだ。社会はゆっくりと否応なく自然と変化してゆくだろう。そしてそれはたぶんメディアが今予測しているようなものではないし、そうであってほしくない。市民が勝手にやっていくなかで自然と育っていくような、そんなものであってほしい。近い未来においては、秋冬に第二波が来るという話もあるが、たとえ不安を煽るアナウンスがあっても、もう誰も聞く耳を持たず完無視でやっていけたら一番と思う。そのためには今この時点ですでに完無視できていなくては、将来それをするのはより難しくなっていくと思う。原理としてはそのはずだ。でも実際には難しい。なかなかそうもいかない。

ともあれ普通に見て普通に考えたらわかるが、これはまったくたいしたことではない。それどころか、メディアで喧伝されているような、“全身の骨が折れるような”強烈な倦怠感を伴うとかいう“軽症”でさえも「無い」可能性はある。なぜなら年食った政治家たちも初期にはマスクをせず三密で会議をしていたが、もしそのような強烈な軽症が「有る」なら、彼らはそれでさえも普通に嫌がるはずだからである。すぐにアビガンが飲めて最高の医療を受けられるから彼らはマスクをしないのだという意見もあったが、人間の痛みに対する感性を単純に考えると、軽症どころか体調がちょっと悪くなるのも嫌なはずである。だからその説は間違いだ。なので病後報告をした有名人たちは全員、詐欺の片棒を担いだことになるし、証言インタビューや病院の映像など、何もかもが嘘であるということにはなる。だからのびのび完無視GOGO作戦も、一応アリなのだ。そういうこと。しかしまあ普通に見て普通に考えるということの困難さをつくづく思い知ったねえ。。

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