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新コロな日々。《Stop Crying Your Heart Out》

今日は4/22、水曜日だった。もちろんたいした変化が無い。不思議に思うかもしれないが、本当に大きな変化や動きというものが社会にないのだ。まったく前進していない。信じられるか?これはあの有名なコロナ禍だ。その2ヶ月目は終わり、社会としても今は3ヶ月目と言っていいだろう。DP号が横浜に停泊したのが2/5だ(今ルーズリーフを見返して確認した、僕は中学校のころからルーズリーフが大好きだ、ページの順番のことを考えなくていい、あとから好きに組み替えたりすればいいので、とにかくとりあえずなんでもそこに放り込んでしまえばいいのだ、あとのことはあとで考える、大好きだ、このコロナ禍での出来事もまとめて考えるべきことはとりあえずメモしていっている)。それから考えると、やはり3ヶ月目と言っていい。なのに何も話が進んでいない。とても、遅い。少なくとも表では話は何も進んでいない。

さて、今はiPadでオアシスの初期、1994年のライブ映像を流している。さっきまでマリオカートをこのiPhoneでやっていた。やりながら考えていたのだが、思えばこの生活にも不思議に慣れてきた。おそらく社会は大転換するだろう。どのように大転換するかはわからないが、そういった社会の大転換は過去にも日本ではあった。もちろんあった。一番近いものでは敗戦だ。今はさしずめ戦中である。その前では明治維新。今は幕末にあたる。つまり、まさかアメリカに占領され、チョコレートがばら撒かれ、天皇が人間として扱われるとも思わず、徳川家が滅亡するなんて誰も思っていない。特に徳川家は250年も続いた。大転換も大転換だ。藩もなくなって県になった。当時の庶民には意味がわからなかったろう。今の僕らが出会うのはおそらくそういう展開だ。まあ最大でそのへんだろう。。わからない。もちろん元通り、徳川様の天下に戻るかもしれない。けど、それぐらいのつもりでいなくては、何を学んできたのかということにもなる。僕はビフォーコロナではバーテンダー(しかもまあまあ悪くない腕の良いバーテンダーだった、お金が儲かったわけではなかったがねゴホン)だったが、今は事実上の失業者である。お店はあるが、お客さんは来ないし、呼ぶわけにもいかない、今の段階では。つまり、そう、マリカーをしながら、家でゴロゴロしながら、ああ俺は事実上の失業者だなと思い、そのことを当たり前だと感じたということが書きたかった。なぜそれを当たり前だと感じるかというと、つまり大転換の真っ只中だからだということだ。明治維新後に剣の技術が社会から必要とされなくなったのと同じだということだ。大砲の前に新撰組がなすすべもなかったのとも同じだ。僕はそれを大河ドラマの「新撰組!」から学んだ。しかしあれはいいドラマだったな。。大好きだ。なんといっても土方歳三役の山本耕史が良かった。。ぶっちぎりだ。マジに良かった。俺の好きな堀北真希と結婚するのを許すなら山本耕史しかいない。そりゃ堀北真希は見る目がある。当たり前だろ。

今日はいっぱい書いたな。気が済んだ。とにかく出来るだけ器を大きくしてものを見て生きてゆこう。明治維新や敗戦と同じだと思って見ていくのが良い。以前の価値観や物差しが通用しないシーンも増えてくるだろうし、採用してはならない場面も出てくるはずだ。基準は“生きてゆくこと”そのもの。もう一度そこから改めてスタートしてゆく以外にない。当然。そして時間がかかる。それも当然。まあまだまだのんびりやろう。ワンデイ・ワンスイング。やることは1日1個だけにしときなさい。僕が大学のときに覚えたバックパッカーの心得を示す標語。

【追記】今日、風呂場にイスを持ち込んで弾き語りをした。これなら小さい声でも大きく聞こえるし、自然なリバーブがかかって最高。なんで今まで思いつかなかったのか。馬鹿なんじゃないのか。

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