見出し画像

母とマブダチになる。

母親っつーのは
自分が幼い頃は絶対的な存在である。
幼ければ幼いほど
「お母さん、お母さん」状態だ。

それが、少しずつ成長し、

高校くらいになると
母親を見下すようなかんじがあった。
なぁんだ、うちの親
大したことねーじゃねーか、なんて思う。

短大生になり、
実家を離れて暮らし、
自分一人でいろいろとやってみると、
ご飯が出てきていたありがたみ、などを知る。

働くようになると、
働くっつーのは、
毎日、何年も継続して働くっつーのは
いや〜、こりゃ大変なことだな、と知る。
そして、長年働いている親を
すげーな、という目で見始める。

結婚し、子供を授かると、
あー、ワテもこうやって
大変な手間ひまをかけて
育ててもらったのかー、と思い知る。
こりゃ大変なことだ。子育ては忍耐だ。

そして、しばらくすると
子供を育てつつ働くようになる。
ますます、こりゃ大変なことだ。
母も、ワテらを育てながら
よく働いてきたな〜、と敬服する。


なぁんて調子で、
自分の中の母の捉え方っつーのは
自分の成長と共にどんどん変化してきたわけで。


そんで、その変化っつーのは現在も続いている。


ワテの娘は発達障害だ。

これは、なかなか、レアな状況だ。

よそ様になかなか言えん。

言えんっつーのは、
隠したい、とかじゃなく、
説明するのも、受け止める側もエネルギーと時間が要るからだ。
「うちの子、発達障害なんだよねー。」
「へー、そうなんだー。」だけでは済まない。 
もちろんまぁ、積極的によそ様に言う話でもない。うちの娘が
発達障害を伏せて就職する可能性もあるので、
誰にでも言うことのメリットはほぼ無いだろう。

そういうわけで、
娘のことに関しては
やはり父や母を相手に
いろいろ相談、連絡するわけで。
まぁ、孫にあたるわけだから 
随分心を寄せて、共に感情を分かち合ってくれている。ありがたいことだ。 


逆に、母の側に、

最近、「父が認知症か?騒動」があったり、
親族にお悩みがあったり、

ワテは今度は母の相談に乗っている。
こちらもやはり、
よそ様には積極的に話す内容ではない。


母も歳を取り、
大変元気ではあるが、
いろいろと心配ではある。
支えていかねばならない。

時に支え、
時に支えられ。
時に励まし合い、
時に笑い合い、泣き合い。

っつーとこだ。

まぁ、理想的な関係ではある。

ワテはいつの間にか母を追い越して
支えていくかんじが強くなっている。


子育て期は本当に母に助けてもらって仕事してきたワテ。
母の望むことはなんでもやってあげていかねばならん。

母親と娘が、みな、こうではないかもしれぬ。
良い関係でいられて
お互いうれしい。
現在は
お互いがお互いに感謝している関係だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?