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父が死んで知ったこと。

ワテは家族を亡くすのは初めてだった。
父が死んで知ったことを書いてみる。

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❶めちゃくちゃ元気でも
 人は急に死ぬ。

父は亡くなる2日前まで
バリバリ働いていた。
ちょー元気だなーと思っていた。
だが、急に死んだ。
元気でも、
例えばコロナに罹患したりしたら
やはり家族は気を付けてやらなかん。
元気元気と本人が言っていても
加齢により
調子が悪い自覚を持てていないかもしれぬ。
男性の平均寿命は81歳とか読んだが、
そんくらいの歳になったら
要警戒だ。
まぁでも
ワテもワーワー、母づてに
病院にもう一度行けとか
散々言ってたんだが、
なかなか本人が言うことを聞かない場合も多いかもしれぬ。

やっぱり血管が大事なんだな。
脳の血管と、心臓の血管は
詰まると命に関わるんだな。

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❷死んだらすぐ
 遺体をどこに運ぶか決めなかん。

病院で亡くなると
遺体をどこに運ぶか、
葬儀屋か、自宅か
決めなかん。
とにかく元気な人が急に死んだので、
急にどうするか考え、
急に結論を出さなかんかった。
ワテは、
葬儀屋なんかに運んだらかわいそうやん、
自宅に連れ帰るに決まってるやん!
と思ったが、
両親はもともと、葬儀屋にお互いが亡くなったら運ぶと話していたらしい。
散らかった自宅にワシャワシャ人が来るなんていやよね、と。
でも父は実際には、ワテの意見のまま
実家に連れ帰った。
ワテの感覚からしたら
当然だ。
葬儀屋でひとりぼっちだなんて 
可哀想過ぎる。これは、あくまで
ワテ個人の感覚だ。人それぞれだろう。
実家の近所の人がゾロゾロ来てくれた時に
「今みんな葬儀屋に運んじゃうから
 よかったね」と
最後、玄関先に一人残って泣いてくれた女性がいたが、
褒められてよかったw。

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❸宗教をどうするか
 急に決めなかんくなる。

先祖代々の墓がある家はあれだが、
父は三男だったので
どんな葬式にしてもよかった。
寺の檀家になると、寄進料がすごそうだから、
神式にするかい?とも話したが、
遠方の寺のお坊さんで良ければ
読経だけしてくれると葬儀屋が言うので
そのタイプの仏式にした。
それを、父が亡くなった夜の
翌日の朝までに決めなかんかった。
これもなかなか、大変なことだった。

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❹遺体は冷え冷え。

遺体を何度も見たことはあった。
祖母や、伯母、友人など。。。
だけど、遺体に手で触れたのは
父が初めてだった。
亡くなってすぐは
まだ手や顔はあったかく、体温があったが、
足はもう、うちらが駆け付けた時には
体温が失われていた。
亡くなって20分後くらいだろうか?

亡くなると巨大なドライアイスが
胸や腹の上に置かれたが
それでもって顔含め
全身が冷え冷えに冷えるんだね。
初めて知った。

父は結局亡くなって5日後に葬儀だった。
葬儀屋が毎日、ドライアイスを交換しに
実家に来てくれたが、
さすがに最後の方は
耳たぶあたりが黒ずみ、
傷み始めているように見えた。
それを見てワテは、
もう、限界だな、
ごめんね、じいじ、って思ったんだ。
もう、ワテ自らの気持ちとして
荼毘に付してやらなかんと
決心というか、覚悟というか、
納得というか、
出来たんだよね。

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❺亡くなって5日後の葬儀はベスト⁈

僧侶が確保できなかったから
亡くなった5日後の葬儀に
たまたまなったが、
まぁ、うちの父の場合、
突然亡くなったから余計そうだろうが、
亡くなって、すぐ通夜、とかじゃ
とても早過ぎて、
覚悟というか、名残惜し過ぎただろう。
だからと言って、これ以上遅い葬儀では
遺体が傷んで故人が気の毒だ。
5日後ってのは、良かった。

家族を亡くして
初めて知ることがたくさんあった。

またなにかあったら
書こうと思う。

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