見出し画像

「欲望」を制するのは「感性」と「理性」か。いや…ー「ツグミたちの荒野」(遠藤公男著)を読んで

このごろ、日が長くなった。
梅が咲き、雲雀もさえずりはじめた。

ツグミたちも、シベリア方面への北帰行を始めている(そのロシアの政情もとても気になるが…)。

以前から気になっていた「ツグミたちの荒野」を、やっと、読んだ。

カスミ網猟によるツグミの乱獲の実態や、カスミ網をめぐる保護運動のことが書かれた本だと、鳥の師匠から聞かされていたが、まだ手に取れていなかったのだ。


カスミ網猟とは

本題に入る前に、カスミ網猟をご存じでない方も多いと思うので、少しだけ解説を。

カスミ網とは、黒い細い糸で編まれた野鳥捕獲用の網。網目の大きさは、今も販売されている「防鳥ネット」に似たくらいで、幅は9mほどある。

この網を、秋の渡りのシーズンに、小鳥たちの渡りルートの尾根の森の中に直角に何十枚(ときに何百枚)と張り、近くでオトリの鳥を鳴かせて、小鳥の群れを一網打尽にするという猟だ。

糸があまりに細いため、鳥の目にも「霞」のように見えて、絡まってしまう。(本の表紙にもうっすらと描かれている。一見、気づかない…まさにこの感じ)

かつてはこの猟でとられたツグミが焼き鳥屋に並んだと聴く。しかしあまりに多くの鳥を捕ってしまうため、今は、猟も、網の販売も所持も禁止されている。

風力発電計画と、ツグミの焼き鳥談と

読む気になったきっかけは2つあった。

ひとつは、僕の郷里の余呉から福井にかけて建設が計画されているウィンドファーム(風力発電所)だ。数年前からずっと、この計画が気がかりで、最近、そのことについて鳥の師匠に相談をしたとき、あらためてこの本を勧められた。

(なお、このウィンドファームの計画内容と課題点については、滋賀県議会議員の角田航也議員のレポートに詳しいので、興味のある方はご一読いただきたい。)

もう一つは、僕がとったツグミの写真をFacebookに投稿した際、知り合いの年配の方がくださったコメント。そこにはこうあった。

焼鳥にすれば最高で油がポタポタ落ちるんだと、教えを請うた大先生がおしゃってました。勿論、私の時代には捕ることは禁止されてましたので知る由も有りませんが。今はカスミ網での違法捕獲の話しも聞きませんが、事実はどうなんでしょう。

いまが読むべき時、と思い、図書館で検索した。近くの図書館を経由して、滋賀県立図書館の蔵書が手元に届いた。

加賀藩で発明。明治から昭和に中部六県へ

本書の発行は今を遡ること約40年の、昭和58年(1983年)。まだバブルの弾ける前の景気が良かった時期。各地で開発と自然保護の対立が鮮明になっていた時代だと思う。

著者は遠藤公男さん。岩手県生まれで、山間部の分校に23年間、代表教員として勤務したのち、作家となったという。
筆致はとても平易で、とても読み進みやすい。長年の子どもたちとのコミュニケーションで培われたものであもあるかと思う。

ページを開いて書かれていたことは、全く知らなかったことばかりだった。

・かつて、能登では、秋空を渡ってくるツグミの群れは、黒い帯のようで、朝から晩まで、途切れることなく続いたことがあったという。鳴きかわす声を羽音で、人の話が聞こえないことがあったとも。

・カスミ網猟は江戸時代に加賀藩の武士が開発した(当時は「鳥構え」と呼ばれた)
・小鳥を一網打尽にしてしまう猟であったが、当時の武士には節度があり、限られた日数しか猟をしなかった
・小鳥の売買も禁じられていたので、親戚を呼んで焼き鳥をするくらいで、武士の「遊芸」としての域を越えていなかった
・そのため、当時はまだ大きな影響はなかった

しかし…

・明治維新で失業した武士が「鳥構え」の経営者となり、商売をするようになった
・石川から、富山、岐阜、愛知、福井へと伝わり、中部六県の渡り鳥のコースは、ことごとくカスミ網猟が広がり、連なる山々に網が張られ、乱獲が行われていった
・明治政府も「狩猟規則」や「狩猟法」を整備はして免状を必要にはしたが、それでも猟は続いた
・猟をする者、名物として飲食業を営むものは増えていった

・昭和22年、この猟の危険性に気づいたアメリカのオースチンの勧告により、狩猟法でカスミ網は禁止された
・しかしその後も、法の抜け穴(有害鳥獣の駆除に「張り網」をつかうことは禁じられていなかった)を使い、公然とカスミ網猟は続けられ、飲食店でも販売されていた
・加えて、カスミ網猟を擁護し、復活させようとする、政治家からの圧力も絶えずかかっていた。

・そのため、取締を行うべき行政も、警察も及び腰であった
・この本が発行された時点でもまだ密猟が続けられており、全国で推計400万羽の小鳥が、網にかかり、背骨を折られ、羽毛をむしられ、焼き鳥用として売られていた
・しかも、ツグミだけでなくあらゆる小鳥が捕獲されており、一部の鳥は観賞用として売られていたが、商業価値のない鳥はただ殺されていた…

・野鳥の会などの保護活動を行う団体でも、この問題に声を上げる人は全国的には少数であり、なかなか注目をされてこなかった

…と…。
長らくバードウォッチングをしていながら、僕が生まれた頃にはまだこんな状態であったことを知って、愕然とした。

みずからの狩猟欲と食欲への気付き

この本の主な題材は、カスミ網猟の密猟撲滅を目指す人々と、カスミ網猟の密猟や、復活を求めた活動をする人々との摩擦にある。

保護側では、岐阜の教員を中心に、福井の行政職員や、石川、富山、それぞれの地域で、カスミ網猟の密猟に立ち向かった人々が描かれる。

一方で、カスミ網猟を実際に行っていた人々からの生々しい語りや、保護運動へのあからさまな妨害をした政治的な実力者(その中には当時の現職の岐阜県知事も含まれる)の威圧的な行動も描かれている。

そして、その相対する両者の語りを読みながら自分でも驚いたのは、保護活動の人々の崇高な思いや苦難に共感するだけでなく、鳥が網にかかったときの猟師のよろこびには胸が踊り、油のしたたるツグミを食べた人の話にはつばが出てしまう、という、ということだった。

それはきっと、人間誰もがもつ、狩猟欲や食欲が刺激されるからにほかならないだろう。

僕も、猟師と同じ環境で育ったら、喜々として猟に勤しんだかもしれないし、当時に生きていたら、ツグミを食べずにいられなかったかもしれない。

自分の中に、そういう野蛮なものが息づいていることは否めないと、改めて実感した。

そしてそれは、保護活動をしてきた人々の中にも、あっただろう。
それでも、彼らが、保護活動を貫くことができたのは、なぜだったか。しかも、この本に描かれている保護運動家の少なくとも2人は、子どもの頃は、カスミ網猟に親しんでいた人々であったにも関わらず。

「感性」と「理性」

読後、振り返るとそれは、「感性」と「理性」であったように思う。

遠くシベリアからはるばる、小さな体を振り絞ってこの日本にまでたどり着いた小鳥たちを労い慈しむ念。その彼らが、金銭のために軽々と殺されていくことへの理不尽さといった、「感性」を劣化させずに持ち続けたこと。

そして、情だけでなく、科学的根拠を持って生態系の保全の必要性を理解し、主張をすることができた「理性」を持っていたこと。

その差が、金銭のために小鳥たちの命を奪うことに慣れて「感性」を麻痺してしまった人々や、自分の主張を通すためだけに都合のいい事実だけを拾い上げるような「理性」を欠如させた人々と決定的に違う。

この「感性」と「理性」を備えていたから、彼らは、人々にカスミ網の禁止の必要性を伝えることができ、人々の意識を変え、世論を変え、法律を変え、「常識」を転換することができたのではないか。

とここまで書いたが、なにか足りない、と思った。

そして「耐え忍ぶ」「やり続ける」「信じて待つ」

著作の中では、保護活動をしてきた人々が、議員などに恫喝を受けたり、仲間と思っていた行政職員や警察署員に裏切られたり、目の前で小鳥たちが殺されることを甘んじて見ていなければならなかったようなシーンが幾度も出てくる。

心が折れそうになるときだ。

そのたびに、彼らはどうしたか。

まずは、ただ、耐え忍んだ。

そして、諦めるのではなく、次の手を、そしてまた次の手を、と打ち続けた。何年も、そして何十年も。

そして、少しずつ変化は訪れ、あるとき、「カスミ網猟は行うべきものではない」という常識が社会に広がる時が来た。

こうした「耐え忍ぶ」「やり続ける」「信じて待つ」…が、彼らの力だったと思う。

思えば、欲を制することそのものが「耐え忍ぶ」ことだと言えるだろう。
結果を急ぐことも成功欲で、相手を思うようにしようと思うことも支配欲だ。おそらく、欲をもって、欲を制することはできないのだろう。

わたしたち自身も、一朝一夕で体も心も成長できないとおなじように、社会全体も、成長するには、時間がかかるものなのだろう。

自然エネルギーと「欲」

今、郷里で計画されているウィンドファームは、わたしたちの暮らしを支えるエネルギーの供給源として、計画されているものだ。

江戸時代、私たちの国のエネルギー自給率は100%だった。しかも、地上資源(太陽光、風力、水力、植物バイオマス)だけでほぼ完結していたから、CO2排出量も、実質ゼロであった。

しかし今は12%(それでも、僕が学生時代は4%と習ったのでこの20年ほどで8%ほどは向上したことにはなり、それはそれで希望だが、100%にはほ程遠い)。CO2排出量は世界で5番目、3.2%を占めている。

その背景には、エネルギーの使用量が劇的に増えたことがある。石炭、石油、天然ガスといった化石燃料を使い、まずは軽工業、のちに鉄鋼業、化学工業、自動車や機械製造業といった、いわゆる重工業を、経済の基盤においたこと、そして生活の利便性を追い求め、あらゆる箇所で多くのエネルギーを使うようになった。

太陽光にせよ、風力にせよ、水力にせよ、「自然エネルギー」は、私たち人間が使う限り、土地を改変したり、占拠したりして、他の生き物たちの生息地を破壊したり改変したりする。

だから、その影響を小さくするための原則は、「エネルギー使用量を減らすこと」に尽きる。

痛みはきっと、一時的なもの。

一度手にしたものを手放すのは、ストレスがかかることだ。
しかし、それは一時的なものであり、恒久的なものではないはずだ。

たとえば、いちど食べたツグミを、食べなくなること、いちどはじめたカスミ網を、やめることは、当時の人々にとって、手放し難いものであっただろう。

しかし、その痛みや辛さは、徐々に薄れる。そしてそれがなくなった状況が当たり前になれば、今や「ツグミを食べたい」「カスミ網猟をしたい」という人はほとんどいない。

タバコも同様だろう。禁煙時は辛いが、いったん、タバコがない生活に慣れたら、もう要らないという人も多い。

わたしたちは、きっと、エネルギーの使用量をもっと減らすことができる。産業に用いるエネルギーももっと減らせるし、車ももっと減らせるはずだ。

しかし、そうしようという機運は高まりにくい。それは当時、多くの人がツグミを捕りつづけ、食べ続けた気持ちに重なるものだと思う。

しかし、このままのエネルギー消費を続ける限り、わたしたちは、ツグミを食べ尽くしたように、大気のバランスを大きく変え、あるいは大地を傷つけて、生き物たちのすみかや、通り道を壊し、結果的に、わたしたちの暮らし自体を損なうことにもなるだろう。

いま、私たちには、保護活動に取り組んだ方々に習って「耐え忍び」「やり続け」「信じて待つ」ことが求めらていると思う。
そして、何度もいうが、そのしのどさは、おそらく、一時的なものだ。
峠を登る坂道はしんどいが、尾根まで登れば見たことのなかった景色が開けるだろう。
目線を、足元にではなく、その先に向けたい。

若者たちの声

この著書の中に出てくる、保護活動を続けてきた人々は、地域においても日本においても、ごく少数で、孤立しがちな人々だった。
彼らの姿に、今ぼくは、気候危機を訴えている若者たちの姿を重ねる。

ちょうど今日は、彼らが「世界気候アクション0325」を行っている。しかし彼らへの連帯はまだまだ薄い。

彼らのことを「感情的」だと思ったり、気候危機など「陰謀だ」などと思っている人々もいると思う。

しかし、彼らの主張の背景には、より弱い人や生命を思う「感性」と、客観的事実に基づいた主張の「理性」が伴っている。

まずは、彼らの言葉に、予断を廃して耳を傾けてほしい。

今のままの暮らしをしていたいという「欲」は、誰にでもあるだろう。僕にもある。きっと若い彼らにもあるだろう。

だけれど、変化をしない限り、わたしたちは、共に、危機を迎えるだろう。
互いが欲にまみれ、感性と理性を失った中で危機を迎えたら、わたしたちは争いを深めあい、より悲惨な状況になるだろう(すでにその状況は世界で起きている)。

現実を直視し、自らの過ちを認め、変化を起こしていくことは、勇気のいることであり、忍耐を要することだ。
しかし、その忍耐の先にはきっと、優しさと、豊かさのある社会があるとお思う。

耐え忍ぶ、やり続ける、信じて待つ。

そうすればやがて、僕らはそこに行き着くことができるのではないか。

大気のバランスも、自然環境も、守れる社会へ。
戦争のない社会へ。

そのことを、この本は教えてくれたように思う。

なお、この本には、カスミ網猟が行われていた具体的な地名が随所にあげられている。いまはGoogleMapでその場所をさがし、地図で見れば、「鳥たちの道」が見えてくる。そしてその道は、今回のウィンドファームの建設計画地へとつながっている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?