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タオル1枚片道切符[3回目のひな誕祭-両日]

プロローグ
職場に1人、自分以外に日向坂ファンがいる。
その先輩とはよくひなあいの話で盛り上がっていた。ひなあいの話だけで盛り上がっていた。
そう、自分はひなあいが大好きなだけで、ハスっているわけではなく、本当にメンバーのアイドル活動に興味がなかった。なので日向坂で盛り上がるトークテーマといえばその週のひなあい一択であった。その先輩が何かのイベントに当選して前列で舞台挨拶を観たとか、今日はミーグリだったとか、話は熱心に聴いてはいても、羨ましいは思わなかった。
それくらい本当に本当に自分はメンバーのアイドル活動には興味がなく、もちろんライブもミーグリも未経験で、知ってる曲は表題のみ。けやき坂時代の曲に至ってはひとつも知らなかった。メンバーのブログですらたまにチェックする程度であった。

(どうでもいい事を思い出した!世間的に日向坂の認知度もまだまだ低かったあの頃、井口関連以外で唯一流れてきたネットトピックがあった。おたけのファンが握手会前に景気付けで一気飲みしてレーンで嘔吐。あの子おたけの卒業セレモニー行ったんかなぁ,,,)

とは言うものの、さすがにひなあいを3年も観ていれば、日向坂のライブってどんなモンかなぁくらいは思うのものである。
そんなある日、先輩と新曲「ってか」の話をしながら「また次にライブあったら誘ってくださいよー」と言い、たまたま次のライブであった3回目のひな誕祭、メンバーが夢見た約束の彼の地に軽い気持ちで同行させてもらうのであった。

その後、丸3年ひなあいしか観てこなかった自分は日向坂のライブにどハマりし、数多くのライブに参戦する事となる。

一体自分は東京ドームで何を観たのか!
あの時のドキュメント・東京ドームを順に洗い出してみるので、お時間のある方はどうぞご覧ください。


①櫻坂から東京ドームへ
ライブ当日、桜が満開となった靖国神社や千鳥ヶ淵を散歩していた。水道橋でなく市ヶ谷で下車し、ドームまでの道すがら花見散策と洒落込んでいた。これが地球からの祝い花!非常に心地よいフワフワとしたスタートだった。
その後、先輩との待ち合わせ時間までに気持ちを上げて行こうと思い、水道橋のカフェに入りライブ映像を漁っていた。
その時に出会った動画がオーバーチュア(オーバーチャー?どっち?)からのアディショナルタイムであり、ライブの雰囲気をイメトレしながら、というかアディショナルタイムを聴き込んでいた。
表題曲はある程度予習はしていたものの、日向坂のイメージとは違ったカップリングがあるなんて知りもしなかった。日向坂の中で1番好きな曲は?と聞かれれば間違いなくアディショナルタイムと答えるだろう。日向坂以外でもシンセサイザーの効いた曲が好きで、なんとも言えない心をギュッと掴む世界観に…また書く。

②みんなー、広場にあつまれー!
カフェを後にし、東京ドームへの距離が近くなればなるほど、どう見てもおひさまと思しき人々が増えてきた。ドームに吸い込まれていくその行列に無言で加わり、瞬間最高人口密度常時更新巨大ポカ前広場で無事に先輩と合流した。
ドーム各所で飾り付けられた旗がなびき、メンバーののぼりがそそり立つその光景は、戦国時代好きの心をくすぐるに充分であった。
この装飾、この人々。今日は野球ではなくアイドルのコンサートが行われると誰でも一目でわかっただろう。もちろん小倉智昭スペシャルプロデューサーの「ふるさと祭り東京」の日でもない。

遡ること数年前、友人が読売新聞がらみの特別なチケットを入手し、一緒に東京ドームで巨人中日戦を観たことがある。何が特別だったかと言うと、開場前に非公開で行われる巨人の打撃練習を100人くらいでバックネット側から見る事ができたのである。
開場後の練習とは違い、客のいないスタンドの一箇所に集められたファンは「声出し、声かけ厳禁」のプラカードに静止され、皆静かにオッサンがオッサンや若者に打撃指導する様を見守っているのであった。あれはなんとも異様な空間であった。
それから数年。世はコロナ禍であり、久しぶりの東京ドームはまたしても無言の空間となっていた。ただ違うのは無言で観る対象が紳士たるべし巨人軍の選手から女性アイドルへ変わっていた事である。

開演1時間前にライトスタンドへ着席し、先輩としばしマスク越しに小声で会話していた。その間もツアーTシャツや、ビブス、表題曲の衣装に身を包んだおひさま達が続々と会場入りしていく。
この異様な盛り上がり、お祭り感、開演前からライブっていいなぁと思い始めていた。
そしておひさまが続々と集まる様を見て思い出した事がある。子供の頃、兄と風呂に入ったらまずタマの皮を両手で引っ張り「みんなー!広場にあつまれー!」と言ってモモンガみたいになったカワイイあれを見せ合っていたのだった。そんな全くいらぬ事を思い出すくらいに身は入っていなかった。

③幕が上がる
オーバーチュア前に頃安監督作の映像が流れる。長濱ねるさんの脇固め要因として集められた様なけやき坂結成。欅坂の下部組織の様な立ち位置から着実に人気を獲得していき、彼女たちは日向坂としての改名デビューを果たす。旅立つメンバーとの別れも経験し、コロナに遮られながら掴んだ東京ドームへの切符。あの映像を観て泣かなかったおひさまはいるのだろうか,,,?私です!
いや、涙ちょちょギレでしたが、同行の先輩に何故か弱みを見せまいと平静を装っておりました。
まだライブ未経験のおひさまに教訓として告げます。周りの目なんか本当にどうでもいいから、まずは自分でライブに没入して楽しんでください。
いらぬ自我があるとメンバーとの「一体感」は味わえませんよ?

そして舞台に横一列で登場したメンバー。
やっぱり3年もひなあいを観ていたから、あぁ、本物や!ってなりますわな。
そしてメンバーの整列を待って、ひとり笑顔でセンターに着陣したエース小坂菜緒。復帰から舞い戻った小坂。あの時の赤みのあるメイク、可愛かったなぁー。やっぱアイドルって可愛いいって思っちゃうよ。

④メイン!メイン!メイン!
ひな誕祭であり、東京ドーム公演でもあり、ボリューム感のあるセットリストには大満足であった。なんとなくは知っていたけやき坂時代の曲たち。それから日向坂になってからの表題曲たち。1日目には直前の詰め込みでどハマりしたアディショナルタイム。ときめき草は聴いたことがなかった曲だったけど、イントロが流れた瞬間にまたウルっとしてしまった。そりゃひなあいのオープニングが流れたんだから、涙が溜まる理由はそれだけで充分でしょう。

10年以上前、エレファントカシマシの宮本浩次さんがニューアルバムを引っ提げてラジオに乗り込み、女性パーソナリティーにブチ切れたという事件を皆さんは覚えているだろうか。
(知らない人は検索してみよう!)

そのパーソナリティーがアルバムを評して曰く
「今回のアルバムはオードブルもサイドディッシュもないフルコース,,,メイン!メイン!メイン!みたいな。ぱっと聴いた感じでうわっ!食べにくい!っていう」
「食べにくい!」というフレーズが宮本氏の怒りを買ってしまったようで、その後の空気を察せない弁解も火に油を注いでしまい、ブースはヒリつく修羅場へと化すのであった。
「食べにくい!」と感じた後の発言は「でも実際飲み込んでみるとこんなに美味しいもんないや!」であった。

対してひな誕祭のセットリストはメイン!メイン!メイン!と続くも、飲み込む前から全く胃もたれを感じさせない内容であった。
美味しいし胃もたれもしない。そしてそれぞれの曲がメインである。それどころか、やさしくスッと体に溶け込んでいく、いわばそれぞれの曲がウィダーインゼリーである。
「今回のひた誕祭はオードブルもサイドディッシュもないゼリー飲料のフルコース,,,ウィダー!ウィダー!ウィダー!みたいな。ぱっと聴いた感じでうわっ!飲みやすい!っていう」
秋元さんや今野さんに感想を伝える機会があったら、そう言ってみよう。

⑤爆音と静寂の間で
同行の先輩とは日向坂以外のアーティストや曲の話もよくするが、確かになぁと思ったのが「その曲を聞けばその頃を思い出す」というモノだった。

けやき坂の結成は2016年。自分が今のアパートに引っ越して来た年だ。それから現在まで彼女たちは日向坂と姿を変え、様々な苦難と喜びを味わいながらアイドル活動に邁進している。その間、自分は同じアパートに住み続けている。そして、初めて金沢旅行にも行った。

2017年。2期生加入。トイレに立て篭もった1期生の気持ちは如何ばかりか。自分はその夏、青春18切符で小田原からムーンライトながらに乗り、都内から金沢まで3000円程度で到達するという快挙を成し遂げていた。

2018年。ライブでは武道館3daysの敢行、テレビではやひらがな推しの放送開始。
その頃、疲れていた自分はスーパー銭湯目的でわざわざ名古屋に行き、夜はネットカフェ利用の一泊二日を少なくとも月一で楽しんでいた。都内からの往復は夜行バス利用で、もろもろの旅費は1万5千円〜2万円程度の貧乏旅行。休みが取れれば自分も名古屋3daysを達成していた。この旅は宿泊先がネットカフェからアパホテルに変わり、今も続いている。(意味不明でしょうが、自分の名古屋好きは日向坂にも関係してくるので、またの機会に詳しく書かせていただきます。)

そして2019年。キュンやドレミを聴けば、この頃オードリーのオールナイトニッポンを聴き始めたのかぁと思うし、こんなに好きになっちゃっていいの?はひなあいをリアタイし始めた頃にCMが流れており、感傷に浸れるのである。

東京ドームを爆音で揺らすライブミュージック。そして声出し禁止の静かなスタンドと相まって、我が心は情熱と冷静の間を、少し前の過去と現在とを行ったり来たりするのであった。
で、なんだそのうっすいエピソードはって?
それはいいじゃない!

⑥かとし来たっ!
ライブも中盤にさしかかり、ひらがなで恋したいのイントロが流れ始めた。数人のメンバーがバルーンに乗ってアリーナやスタンドに手を振っている。気合い入ってるなぁー、金かかってるなーと見入っている所へ一体のバルーンが我々の陣取るライトスタンドへ向かってきた。
「あれ?かとしじゃないっすか,,,!?」

ひな誕祭の数週間前、同行の先輩から「グッズが欲しいなら一緒に注文しちゃうけど?」と言われ、ペンライト1本とかとしの推しメンタオルをお願いしていた。今後も日向坂のライブに参戦するか分からなかったし、とりあえず手持ち無沙汰にならぬようペンライトを1本。

問題は誰の推しメンタオルを買うかである。
本当にひなあいが好きで、強いて言うなら箱推しである自分が推しメンを1人に絞り込むのは難行であった。そういう人の為に「日向坂46」と書かれた推しメンタオルがあるのだろうか。ただ、そのチョイスは何か逃げている気がして、せっかくのライブをそれで後悔しないのかという思いもあり熟考に至った。

んー、埼玉3人衆もいいなぁ。独自の世界観を遺憾無く発揮するひなのも捨てがたい。それでいうとおたけもひなあいには欠かせないしなぁ。単純に河田も可愛いしなぁ,,,。いや、箱推しならばそんなメンバー達をまとめ上げるキャプテンという選択も有りやな,,,。

迷い迷って推しメンタオル・加藤史帆をお願いしますと連絡するのであった。
初期のモー娘。ではゴマキが好きで、自分はちょっと派手目な顔立ちが好きなのか。それに、ひなあいでのかとしの明るく奔放かつ、同時進行で魅せられるヘニョリズム。箱推しと言いつつもどこかかとしを追っていた気がする。そうして色々な理由を並べて、かとし一本のワンチョイスと決断するのであった。

そして、かとしがバルーンに乗ってライトスタンドにやって来た時、自分の加藤史帆・推しメンタオルが炸裂した。
去年、一昨年あたりから「タオル等は胸の位置で掲げるように!」というアナウンスが頻繁に聞かれ、かとしもまた注意喚起を促していたのを思い出す。ただ自分は背が高い方で、ただでさえ後ろの人への申し訳なさがあり、言われるでもなく推しメンタオルを胸の位置で掲げるのであった。
というか横の人にも変に気遣って縦に掲げていた。いわゆる「勝訴スタイル」の爆誕である。
裁判の結果ではなく、私はあなたのファンですよという事をタオルで伝える。それが勝訴スタイル。

あまり良い位置とは言えないライトスタンドではあったものの、フェンスから5列目でバルーンとの距離はかなり近かったように思う。さらに近距離に加藤史帆・推しメンタオルを掲げているのは自分一人であった。

そんな位置取り、勝訴スタイルの自分にかとしが笑顔で手を振ってきた!状況からどう考えても自分に向けて手を振っている!これがレスってやつか!こんなビギナーズラックがあっていいのか!

その刹那、加藤史帆という激烈美女(中身もいいぞー!)にレスをもらった自分の頭と全身はフリーズし、至近距離でかとしのレスを無表情でガン無視した。
いや、ビビっちゃうよ!トキメキ草の花が咲いちゃうよ!
そんな推しメンタオル勝訴スタイル掲げ無表情硬直男に対して、かとしはバルーンのカゴから身をのり出し「君だよー!」というジェスチャーを交えながらもう一度手を振ってくれた。そして今度はちゃんとリアクションしようと、自分は推しメンタオルをわずかにパタパタと揺らすのであった。

明らかな敗訴であった。

教訓。
アリーナの良席を獲得した場合でも、明らかに自分へ向けたと確証のあるレスなんかまぁなかなかないので、これからライブ参戦する人たちは推しが近づいて来たら全身の毛穴を開き、全神経を集中させ、推しと対峙してほしい。
推しが2度も手を振ってくれるなんて事はまぁないから。
自分はいい歳こいてかとしのレスに反応出来なかった事をひどく後悔しています。サイコーのハイライトがしょっぱい思い出にならぬ為にも、みなさん頑張ってください!

⑦これが本当の後楽園遊園地
2日目は3塁側スタンド。初日と打って変わってレスが貰えないのを確信できる深い位置からの参戦。レスを欲しがるくらいにハマっている自分がいた。東京ドームが沼地だったとはな。

それにしても両日共にこのライブが現在に至るまで、日向坂史上最大規模である事は明白である。
客数はもちろん、演出がまた豪華に過ぎた。

・ヨガフレイムを超える火力の火柱は何度も立ち昇る。一体、消防署に火器使用届けを何枚提出したのだろうか。今とんどを思い出した。とんど、わかります?左義長。竹竿の先に餅を付けて焼きたかったぜ。
・高さだけでは上野・東京国立博物館前の噴水に引けを取らない水柱。片付けが大変そうだ。
・油断していると急に鳴り響き、声出し禁止にも関わらず「うぉぉ!」とマスク越しに反応してしまった謎の爆発音。いつ来るのか、ビビって2日目は「ってか」の間奏に全く集中できなかった。
・「君しか勝たん」では大道芸集団が登場。曲中、誰一人ミスする事なく、三輪車・ディアボロ・バトン・大玉乗り等を淡々と披露していく。まさにプロ。エンターテイナー。AメロBメロと各々が磨きあげてきた技を披露し、サビになると急にメンバーと一緒にダンスへの参加。声出しが解禁されていれば「いや、そこは普通に踊るんかい!」とコールを入れたいところであった。
・舞台装置や、かとしが降臨したバルーン意外の乗り物も豪華であった。ハシゴ車のハシゴの部分が垂直に出てくるヤツはメンバーが落っこちないかも心配だが、単純にハシゴがポッキリ折れないか心配になるくらい、力学の粋を集めた装置であった。電飾やモニターで飾られた山車は祇園祭に混じっても長刀鉾や船鉾にもまったく引けを取らないだろう。そして地味に一番ビックリしたのはまぁまぁのスピードで疾走する1人乗りトロッコであった。あれ、まさか人力とは知らなかった。今度自分にも推しを押させてください!

⑧雨が降ったっていいじゃん
そんなこんなで夢のような2日間は終演を迎えた。
「ひなあいは好きだけど日向坂のライブは別に興味が無い」なんて自分はもうそこには居なかった。ひなあいを観始めてからこの初ライブ、3回目のひな誕祭まで3年。これ以降、失った3年を埋め合わせるべく全ての公演にエントリーする事となる(全ての公演にエントリーしたからといって、全ての公演に参加できるわけではない)。

あれこれ思い返してみて、自分は初参戦のライブで何が刺さったのか。かとしからのレスをもらえた事は一大事だったけど、初参戦が3回目のひな誕祭という事が大きかったのは間違いないだろう。もし初ライブが3回目のひな誕祭でなく、ツアーの1公演だったら?ライブには行かず、またひなあいだけを観る生活に戻っていたでろうか。
さぁ、それは分からないけど、このタイミングや巡り合わせ、人との出会いに感謝するのみ。

2日目の終演後は強く雨が降っており、同行の先輩とは現地解散した。小さな折りたたみ傘では濡れてしまうけれど、もう本当にクールダウンにはピッタリだと思っていた。
興奮冷めやらぬ自分は雨の中しばし歩き、一度ドームに引き返し余韻を噛みしめた後、また歩き出した。雨の中、飯田橋まで来てもまだ家に帰る気にはならなかった。都心の一駅分を歩いた程度でこの興奮と余韻は収まらないだろう。
目に映った焼き肉ライクに入店し、そこでフト気付いた。

「ん?耳鳴りがおさまった!?」

自分は20代半ばから滲出性中耳炎という、やっかいな病と共にある(プールや風呂で潜った後で耳に水が溜まるやつ。ただし鼓膜内に水が溜まるので、頭を傾けてトントンしたところでどうにもならない)。
今も左耳は調子が良い時は何も問題ないのだけれど、風邪の症状や不摂生があると四六時中左耳に水が溜まった状態である。あるとき鼓膜に穴を開けて暫く塞がないという治療をし、その時はある程度改善したのだけれど、それ以降左耳は常にキーンと耳鳴りが鳴るようになってしまった。
中耳炎の具合は良い時も悪い時もあるけど、耳鳴りは本当に四六時中、もう何年も鳴りっぱなしで、このまま一生付き合わないといけないと思うとヘドが出る。

そんな左耳の耳鳴りがおさまった。これはひな誕祭と同じくらい、静かに興奮した。家に着いても耳鳴りはしない。
もうこれはひな誕マジックとしか言いようがなかった。いや、かとしが魔法をかけて治療してくれたのか。かとし、医師免許持っとったんか!

つらつらおもん見るに、好きな環境に没入し切った事で日々のストレスが緩和され、中耳炎と耳鳴りがおさまったのだろうか。
学生街での接客業における宿命、クソ学生共。
そんなクソ学生共が当店を利用していただいているおかげで、私は今日も生きながらえています。
なんだかナチュラルにソリが合わなくなる同僚。
薄給。30半ばにして続くモラトリアム。ボロアパートの隣人は騒音イカレジジイ。ワタシは将来どうなっちゃいますか?間違えて続けてきた過去への後悔。

もうそんな事を考える暇もなく、ひな誕祭に没入ていた。今ここ。余計な雑念に囚われず、目の前の事に集中する。これが禅でいう三昧の境地だったのか?違うか。

残念ながらひな誕祭に没入したから中耳炎と耳鳴りが改善されたわけではなかったようだ。
この後、武道館にエリッククラプトンを観に行く機会があったのだけれど「今回で2度目なのに、今回もまたレイラもチェンザザワールドもやんねぇのかよ!」と非常にイライラしながらも左耳の耳鳴りがその時だけおさまっていた。ストレスを感じながらもわずか1日だけ完治?していた。

あれ?どういう事?普段接しないライブ会場の爆音が良かったって事?
「ってか」の爆発音に治療されたって事?
謎は深まるばかりである。

その後、日向坂のライブに参戦する度に心のどこかで「あぁ今日のライブ、ひな誕祭の時みたいに耳鳴り治らんかなぁ」と願うも、残念ながらそんな日は来ていない。今日も自分の左耳はキーンと甲高い音が鳴り響いている。

「またさ、俺の耳鳴りを鎮めるくらいのライブをやってくれよ!」


エピローグ
重い腰を上げnoteを書き始めてこれが2記事目。2日に1本くらいのペースで書きまくろうと意気込むも、怠惰な生活と小銭稼ぎの毎日で、そもそもやる気が出ない。文章も上手くまとまらずに下書き保存を繰り返し、日に日を跨いでしまった。ブログを書くのがこんなに大変だったとは。
そこでフと思う。
パルってすごいなぁ。長文ブログを上げ続けるメンバーに敬意を払う。忙しくて疲れているのにブログを上げるメンバーたち、お疲れ様です。ミーパンも、本文が短くたって構わんよ。ブログを上げてくれる事に感謝。

エピローグ②
そんな下書き保存を繰り返すある日、衝撃の通知と絵面が飛び込んで来た。

はい?
濱岸、ぶれねぇな

自分はかとし推しだったのか?
ライブ参戦を重ねる度にレスをもらう事の難しさを知る。この頃はレスは来ないモノとして、単純にライブを楽しめればそれで良いと思っていた。ひなあいでも番組が盛り上がればそれでいいし、かとし以外でもメンバー1人1人に見せ場が多い回はサイコーだ。
ライブの度にグッズを買い足す訳でもなく、ミーグリも一度しか参加していないし、メッセージアプリ等、微々たる課金しかしてこなかった。かとし、力になれず申し訳ない。なんとなく加藤史帆推しメンタオルを首からさげた微課金勢である。
ただ、かとし卒業となれば話は変わってくる。
心にポッカりと穴が空いた気分だ。
あ、俺やっぱりかとし推しじゃねぇか!
メンバーのアイドル活動に興味がなかったのに、アイドルの卒業にダメージを受けているじゃないかい。

まぁ4名同時卒業発表は一旦置いておくとして、3回目のひな誕祭参戦時に箱推しの自分は何故かとしの推しメンタオルを選んだのか。

改めて考えた時に、思い出した事がある。
夢見る者の約束の彼の地。
この大事な大事な3回目のひな誕祭、初日はキャプテンの「東京ドーム、いっくぞー!」から始まった。

2日目、同じセリフを言ったのはかとしだった。

この役回りについて、
「今日はキャプテンスタートじゃないのか」
「今日はかとしスタートなのか」
「なんでかとしなんだろう」
そんな事を考えたファンは居なかっただろう。
「やっぱそうだよな、かとしだよな」
そんな事を思ったファンもまた居なかっただろう。そもそも誰も何も気しなかっただろう。

2日目のかとしスタートはなんの違和感もない自然な事だった。それは、かとしが日向坂を体現する代表メンバーの1人であるから。

ライブ初参戦よりも前、オードリー経由とはいえ、日常の清涼剤としてひなあいを観ていた箱推しの自分は日向坂の何に惹かれていたのか。
可愛さ、明るさ、チャレンジ精神、素朴さ、バイタリティ、沁みる歌声、癒やし、ハッピーオーラ。いや、そんな事なのか?書いていてよくわからなくなってきた。

ただ一つ言える事がある。
「日向坂を知りたければ加藤史帆を見ろ!」



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