イケ!イケ!レッドイーグルス①野球との出会い

 1970年代、まだ野球というスポーツが、子どもたちの遊びの中心にあった頃のお話。

 ぼくの名前は平井誠司。ぼくが野球というスポーツにハマっていったきっかけは、近所に住む幼なじみ湯木徹くんとの出会いからだ。幼稚園のころ、隣り街から引っ越ししてきたぼくは、引っ越しした家の近所に住む子どもたちと、その頃テレビで流行っていたライダーやスーパーヒーローごっこをして遊んでいた。そんな中で、徹くんはあまり、その仲間には加わらず、いつもボールの壁あてをしていた。ぼくは、「徹くん、何してるの?」と聞いてみた。すると、「野球だよ。誠司くんもやってみない?ぼくは、野球が大好きなんだ。」と答えが返ってきた。ぼくは、その日の夜、父親が帰ってくると、「ウチにはグローブないの?」と聞いてみた。父親は、「俺が使っていたやつなら、あるぞ。」と言って、倉庫からグローブを出してきた。徹くんが持っていたグローブよりも使いこまれた油の匂いのするグローブだったが、「これ、使ってもいい?」と聞くと、いつも怖い顔をしている父がニコニコして「いいぞー、野球やるのか?」と聞いてきた。ぼくは「うん。湯木くんっていう友達と一緒に。」というと、「おまえ、野球できるのか?」と聞くので、「初めてやるんだー」というと、「よし、ちょっとキャッチボールしよー」と言って、そのまま、家の外にある工場に連れていかれ、2.3mの距離でキャッチボールを教えてもらった。父親が軽く投げるボールをグローブで捕るのは、それほど難しくなかったが、父親にボールを投げ返すのは、難しいかった。わずか2.3mの距離なのに、投げるボールは思ったところへ行かない。高くなったり、低くなったり、左へ右へ、なかなかまっすぐ投げられなかった。父は「相手の胸あたりを狙って投げろ。」と言うものの、ぼくの投げるボールは全然違うところにいくばかりだった。父は「前に出す足は相手の方にまっすぐ向ける。足と同時に出す左手も、相手の方にまっすぐ向ける。そして、目は相手のグローブを見て投げてごらん。」と教えてくれた。10球くらい投げると、少しずつ相手の胸に投げられるようになってきた。思ったところへ投げられるようになると、ぼくはキャッチボールが楽しくなってきた。「もう少し離れていい?」と父に聞き、5mくらいまで離れてみる。足と手と目を意識して投げてみると、5m先でもまっすぐ投げられた。その日は、最後10mくらいまで離れて、初めてのキャッチボールは終わりになった。ぼくは、明日の徹くんとのキャッチボールが楽しみで、楽しみで仕方なかった。

 次の日、幼稚園から帰ると、ぼくは、グローブを、持っていつもの広場へ一目散に行った。友達たちは、いつものようにスーパーヒーローごっこをして遊んでいた。ぼくは徹くんを探したが、まだ来ていなかった。仕方なく、昨日、徹くんがやっていたみたいに、壁に向かってボールを投げた。すると、昨日夜できたはずの、まっすぐ投げることができなくなった。相手がいないので、どこに狙って投げたらいいのかわからなかった。それでも、ぼくは(早く徹くんが来ないかなあ)と思いながら、壁あてを続けた。結局、その日は徹くんは姿を表すことはなかった。ぼくは、家に帰ってからも、今度は家の前の壁に向かってボールを投げた。この壁あてが面白くて面白くて、ぼくはこの日から壁あてが日課になるくらいだった。ぼくの壁あては父親が帰ってくるまで続けた。父親が帰ってきたら、キャッチボールの相手をしてもらった。

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