「ダウン・ザ・ロード」第2話 渡邊 聡
「ダウン・ザ・ロード」第2話
渡邊 聡
月曜日の昼下がり。
東京の郊外の、Sデパートの屋上。
子供のための、小さな遊園地の隅に置かれたプラスチックのベンチ。
ピエロのような風体の、一人の男が腰かけている。
男は、首を上げず、瞼を上げる。
ポップコーンの販売機の横で、親が子供の首に口を寄せ、首を鷲掴みにする。
怯えた子供の背中を、人目を避けてねじり上げる。
子供は声も出さず、唇を噛み涙をこぼす。
その子供のこれまで長く続いてきた痛みと怯えが、男に、最後の致命傷を与える。
閉じた瞼は、もう重すぎて開けられない。
善行と悪行があるのではない。
同居している、あたりまえの、人間。
自分のなかの悪を見つけられない人間が、悪に飲みこまれる。
欲とモラルが別れ、欲は暴走する。
子に罪など、あるはずがない。
自ら受けた傷から真に解放される道は、実は子をいたわり守る行為によってであったと、男はおぼろげに悟った。
死は眠りであろう。
だけどひきかえせない、おきれない、やりなおせない・・・。
死ぬ実感を、伝えられない、反復できない・・・。
男はいまや、ただひとつのことを、伝えたかった。
しかし、男は、すべての命を使い果たしたことも、知っていた。
君だけは生き延びて・・・。
娘にそう伝えたかった。
「愛している」
と、伝えたかった・・・。
もう、愛する対象の顔すら思い出す力は、残されていなかった。
男は、頭を、垂れる。
朽ち果てた、老木。
皮膚はざらざらに硬く締まり、しろく粉を吹いていた。
ところどころの、皮膚の裂け目だけが、薄い紅をにじませていた。
深手からはすでに、血は滴ることをやめていた。
男は待っていた。
時々、いろいろな幼子が、ものめずらしげに眺め、
すぐ飽きては遊具にもどっていった。
幾分かがすぎた。
もはや、朽ち、枯れ果てようとしていた。
その時、一陣の、暖かな風が舞った。
ゆっくりと促され、男は最後に首を上げ、薄く目を開く。
かけよってくる、娘が見えた。
娘は男の手を握り、両の腕で男をかき抱く。
男は、再びゆっくりと目を閉じる。
閉じられた瞼から、一筋のしずくがこぼれる・・・。
死亡診断書(死体検案書)
氏名 性別 生年月日
死亡したとき
死亡したところの種別 1病院 2診療所 3老人保健施設 4助産所 5老人ホーム 6自宅 7その他 死亡したところ
施設の名称
直接死因 外傷性失血による急性心不全
死因の原因 フェンサイクリジン大量摂取による幻覚・錯乱
行為
手術 ①なし ②あり 中略
所見
幻覚剤フェンサイクリジン、俗称エンジェル・ダストの 大量摂取が遠因。同薬は、本来全身麻酔薬であるが、誤った服用は現実誤
認による、錯乱、著しい狂暴化および激しい健忘をとも ない、また他者に危害を加える危険性は極めて高い。
過摂取の後、昏睡と無痛状態を引き起こし、無敵のドラ
ッグとして高額にて取引されている。
主は、経過不明の麻薬中毒者、医師。
遠因は、子の数日前の不慮の事故死が引き金と思われる。
尚、子の死因は自然死。
いずれも主治医により経過は明かにされている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?