コロナ禍で思うことと、心に響いたこと

久しぶりの更新です。ここ最近新型コロナウイルスの感染拡大によって社会が大きく様変わりしました。私の周りでも様々な変化が起きています。学校の授業形態が変わり、春学期全ての授業がオンライ形式になりました。これと同様に今までなら対面形式で行われたであろう各種イベントもオンラインで実施されるようになってきました。私は授業開始当初、この形態でも昨年と変わらない額の学費を払うのかとオンライン授業に対してネガティブな感情しか持っていませんでした。(今現在もこの講義にお金を払わなければいけないの?と感じてしまう講義もありますが・・・)今週から6月に入り少しずつではありますが、この生活に慣れてきました。その中でオンラインで行う事の良さや面白さを感じる事があったので少し書きたいと思います。多くの方が仰っているように、インターネット回線さえあれば世界中どこからも参加でき場所に対する制約がないという点がオンラインの最大の魅力だと私も感じています。移動時間がほとんど0になり、その分の時間を有意義に使えている感覚が少なからずあります。更に言うと、移動時間がなくなり今まで参加する事が難しかった遠方で開催されるイベントにも参加しやすくなりました。私のように地方で暮らしている者にとってオンラインはかなり大きな可能性を秘めていると感じました。また、最近は、会いたい人に、オンライン上ではありますが、簡単に会えるようになりました。逆にあまり会いたいと思えない人には、無理に会わなくて済むようになりました。なんだか、心持ちが楽になりましした。このようなことから、私は、コロナ渦が収まった後全てを従来のやり方に戻すのはどうなのかと感じています。現在、社会全体としてもとの生活を取り戻す事に目標を置いている感じがありますが、この期間を通しオンラインのみで完結してしまうことが案外多いなと感じた人が沢山いらっしゃると思います。私に至っては、必ずオフラインで行わなければならない事って逆になんだろとさえ考えてしまっています。私自身今までと比べものにならないくらい沢山のイベントに参加できるようになり、多種多様な人と繋がりを持つ事ができたり、多くの知識を習得できたりしています。また、オンライン化の促進は、社会の仕組みや、既存の凝り固まった考え方を変え社会問題さえも解決してしまう力があると思います。例えば、通勤頻度が低下する事によって居住しているエリアで自由度が高まり、地域や家庭などに費やすことが出来る時間が増えます。これまで若い世代の東京一極集中が課題となっていましたが、上記の理由により地方に暮らしながら東京の企業で働こうとする人が増えてくると思います。逆に東京のハイスペックな人材が、地方で働くことも可能なると思います。一極化問題だけにとどまらず、電車の混雑解消や消費を地方に戻すことだってできると思います。一応政治行政学科の学生ということで社会問題に着目して書いてみました。的外れな見解かもしれませんが(笑)。だから、私は、丸っ切りコロナ以前の形に戻すのではなくオンラインで良かった点を従来の生活様式に組み込めば、より良い新しい社会が作られていくのではないかと考えます。

 この期間に参加してきたイベントで強く印象に残ったことがあるのでここから書いていきたいと思います。それは私が、所属するゼミで時々開催されるオープンゼミでのことでした。ここでオープンゼミについて少し説明します。オープンゼミとは、大学の中だけで学ぶのではなく、どんどん外に飛び出していき学びの幅を広めてこうというものです。毎回ゲストをお招きして大学内では滅多に聞く事のできない現役の社会人方のお話を聴きます。オープンゼミは、名の通りオープンな場になっています。ゲストの方以外にも多くの社会人の方に参加していただいき、その方々との対話を通じ自分の可能性を更に広げていきます。

 個人的に社会人として活躍されている方のお話の方が一般の大学の講義より為になると感じています。なぜなら、社会のリアルを教えてくれるからです。大学教授は、ほとんどが教授という特殊な職業しか経験していな為その点を語れる人は多くはいません。私は、教授を目指しているわけではないのでビジネスパーソンから得た知識の方が社会に出てすぐに役に立つと考えます。もちろん素晴らしい研究をされている先生方から専門知識を吸収できることはとても嬉しいことです。

今回のオープンゼミでのお話で、「人は致命的にできないことがあるからその点は、周りの人に助けてもらっているという言葉が」心に響きました。これまでの私は、弱さを見せるのが苦手でした。と言うか、頑なに強がっていました。日本は、昔から「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるように、やせ我慢をしたり、全てを明かさないことが美德とされてきました。確かに多くを語らない生き方は、めちゃくちゃカッコいいと思います。しかし、この言葉の意味を誇張して捉えてしまい、人に助けを求める事や弱みを見せる事は、格好悪い事であると勘違いしてしまっている人結構いると思います。私もこの中の一人でした。でも、今回の言葉を聞いて自分が勘違いしていることに気がつけました。誰にでも致命的にできない事があるので無理に強がったり、背伸びをする必要はないなぁと思いました。今後は、周りの人にありのままの自分をさらけ出し「助けて」と言える人になろうと思いました。逆に自分の得意分野や出来る事は、人とにどんどん提供していきたいと思います。

弱さを見せても良いという事を知ってからは、気持ちが楽になりました。


            


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