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「やる気を出す」より「夢中になる」が強い件

最近の私

ここ最近、大変有意義な日々を過ごしています。毎日が楽しくて、面白くて仕方がない状態です。「こんな事がしたかったんです」と発して勝手に感動してばかりです。自分自身を振り返ると燃えてるなぁと感じます。「やる気が起こるからやる」のではなく、「やってる最中で突き詰めたい」と思う状態なのかと思いました。
 やる気と聞くと決起集会や、やる気スイッチを押して無理矢理入れるもののように聞こえます。確かに、テストで良い点をとるためやプロジェクトを完成させるために「やる気を出す」ことは必要です。しかし、それは一時的なものに過ぎず継続はしません。それより、何かに取り組んでいる最中に湧いてくる思い方が熱量が高いという体験をしました。
 だから「やる気を」出す努力もしかり夢中になるものを掴む経験・勇気を大切にしたいです。常に何か経験し続け熱量を周りに伝染させられる人間になりたいです。

スポーツ指導現場で感じたこと

子供(小学生)にあるスポーツを教える機会があります。ここでの経験を振り返るとやる気は無理やり起こすものではないと以前から理解していたように感じます。
 スポーツの指導現場でこんな光景をよく見ます。「〇〇しなさい」と指示を出し指示通りに動けない子に対して「頼むから〇〇して」と言葉を掛ける指導者。この言葉は成熟したアスリートに発破をかける際には有効だと思います。しかし、子供たちに掛けてしまうと「指導者のために練習させられている」と勘違いさせてしまうような気がしていました。「〜〜のため」と考えてしまうと自己犠牲感が生まれ、競技そのものが楽しめなくなってしまったり、周りの期待から成長に制限がかかってしまう恐れがあると感じています。そのため、私は「どうしたいの?」と子供に問い掛けてみる「待つ指導」を敢えて行ってきました。
 やる気を無理やり出させたり、指導論を強要するのではなく競技自体に「夢中にさせる・楽しませる」仕組みを指導者側が作る必要があるなぁと感じます。

エントリーシートを見返してみた

23卒(僕の一つ下の代)の就職活動がスタートしました。友人が内定獲得者として座談会に参加すると聞きました。僕がその立場だったら後輩に何を伝えたいか考えてみました。伝えたい事は簡潔で「自分のやりたい事に素直になれ」です。
 僕は、やりたい事、目指したい事が明確にありました。当初エントリーシートにそれらをたくさん書いていました。しかし、やりたい事ではなく大学時代に培ったスキルをどう会社に生かせるか(できる事ベース)で作成した方が良いというアドバイスを受けそれに流されてしまいました。結果的に複数の企業から内定をいただくことができましたが、自分のやりたいことを蔑ろにしてしまった感覚があります。また、最近社会人の方と密に関わっています。その中で思ったことが何を経験したかよりもその経験からどんなことを学び取ったのかを重視してるように感じました。
 確かに、スキル面も大切ですが、スキル面を軸にしてしまうと選択肢が自動的に狭まってしまいやりたいことが出来なくなってしまう可能性があります。だから、後輩には、やりたいことを軸に就職活動を進めてもらいたいと思っています。

結局のところ

長々と書きましたが結局、僕は猫のように生きたいんです。自分を信じて自分の人生を常に肯定し続けていきたいのです。そのな生き方ををする中で自然に他者に影響を与えられていたら幸せです。


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さとうにちや
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