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目玉と眼球は違うものなのか

視線のゆくえ

基本的に「眼」はモノを見るためにあり、
寝ているとき以外、
休むヒマなく働いてくれてるものです。
ところが、たまーに、
この「眼」を必要としないときがあるんですね。
さて、それはいつでしょう。

(考える時間5秒)

まず思うのが
「見なくていいものが前にある」とき。
ああ、見ちゃいけない…
という場面に遭遇したときですね。
上司の不倫現場とか。

いや、逆に思いっきり見ちゃうか。

恋人がくしゃみをした瞬間、
ハナがたれちゃったとき…とか。

そういうときの眼は、不自然に動きますね。
ゆらゆらと。
不思議と、つぶったりはしないもんです。

見てるんだけど、みてないように動く。
まるで行き場を失ったエキストラみたいに。
次何するんだっけ…みたいな。

でも、
もっと顕著に眼が仕事を失う時があるんですね。
これが「トイレの中」です。驚いたことに…。

行動というやつは、だいたいにおいて、
まず眼の動きが先導して、
それを追うようにカラダが動く…。
ところがトイレでコトを行うときは、
眼は何も先導しなくていいんですね。
働いているのは下半身だけ。

そういうとき、眼がどうするか、というと、
やっぱりゆらゆらするんですね。
遠くを見ようともするんですが、
いかんせん前には壁しかない。
そのとき視線は行き場をなくして、
すごくさびしそうにするんです。
なんだか愛おしいですねえ。

見てないけれど見えている

見てるとき目は何らか働いてるとして
見てないときは働いてないんでしょうか。
つまり目をつぶっているときの目は
何も見ていないのか。

実はまぶたの裏を見てるんじゃないか。
と思ったりします。
ただピントがあってないだけで。

実際目をつぶっていても光は感じます。
つぶった目の先で光源が動いたらわかる。
これって見るの下位互換じゃないのか。

どっちも「瞑る」だが

ところで、いま書いていて思ったんですが、
目をつぶるだっけ、つむるだっけ…

調べたらどっちでもいいみたいですが、
ちょっとニュアンスが違う気もしますね。
単に言葉の響きのせいかもしれませんが、
「つぶる」の方が意思を持って使ってるな。
「つむる」はもっと反射的で軽い感じ。

「今回だけは目をつぶってやる」は意志があって
「つむる」だとなんか違和感がある。
ウインクなんかはつぶるよりつむるが合う。
…まああくまでも個人的感覚です。

ちなみに「目」と「眼」の違い。
「目」はまぶたも含めたその辺の場所のことで、
「眼」は目玉そのもののことらしいです。

え?ちょっと待て。
じゃあ「眼球」ってなんだ?

目玉と眼球って並べてみると
どっちも同じ字を難しいのに変えただけ。
なんか進化系みたいですね。第二形態。

ニュアンスはぜんぜん違います。
眼球は医学っぽい。
目玉焼きはうまそうだけど、
眼球焼きは…グロくて食べられない…。

目玉おやじはかわいいけど、眼球親父は…

そういえば、
黒目がちな方がかわいく見えるけど、
実は白目がないと逆に怖い顔になります。
黒目だけだと感情がわからない。
こんなに白目があるのは人間だけらしいですね。

どこ見てるかがわかる。
つまり何考えてるかわかるからでしょう。

どこ見ていいかわかんなくなって
視線がゆらゆらするのも、
ある意味感情表現なのかもしれないですね。
(やっと話が戻った)

次回の言葉は「熱暴走」です。

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