『春琴抄』を読んで
ネタバレ注意
一言。ここで書かれたことが愛だと言うのなら、私は一生分からなくていい。
話は逸れるが、三谷幸喜さんが読書感想文は「読後、自分の変わった部分を書く」といいとポストしていたので、その視点で書いてみる。
「視覚」を奪われることで見える世界があることの描写を読んで、私は何か感動することに出逢ったら、意図的に目を閉じて視覚情報を遮断してみようと思う。
春琴抄を読んですぐにたまたまブラインドサッカー(ブラサカ)を体験できることがあった。ボールの音に敏感になったし、いつも以上に自分の「足」に意識がいった。
また、私の座右の銘は
「得ることは失うことで、失うことは得ること」の解像度が上がり、今後の生活でどんな発見ができるのか楽しみになった。
しかし、谷崎の文章は魅力的だ。
最初に出会ったのは、「陰翳礼讃」だ。茶道の本コーナーに置いてあって手に取った。建築の西洋化に対しての批評が面白く、納得させられることが多かった。現在のトイレと日本家屋がマッチせず、西洋礼賛する風潮を豊富な語彙や言い回しでぐちぐち非難する文章がたまらない。
また、刺青や女性の艶かしい足を書いた本も読んだが、女性蔑視感がないのがよいのか、この人の女性像は受け入れられる。
2024年の裏目標に谷崎潤一郎の作品を全部読むとしていたが、「全部」の量を知らなかった自分がアホだ。
少しずつ読んでみたい。
みなさんも谷崎潤一郎の作品を手に取ってみてはいかがでしょうか。
茶道や植物に興味があれば、『陰翳礼讃』はおススメです。
『春琴抄』は、グロい描写やマゾヒズムの描写が大丈夫な人は是非。そこから新たな発見があるやもしれません。
(三浦しおんさんの『愛なき世界』で?と思った言葉が二つも『春琴抄』に出てきたのは何かの縁なのだろうか。
敷衍(ふえん)と畢竟(ひっきょう)
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