『バカと無知』から男尊女卑について考えてみる

Part4差別と偏見の迷宮
25無意識の差別を計測する

岡田斗司夫先生が「昼は橘玲思考で現実的に考え、夜は内田樹思考でそれでも大丈夫だ!と思って寝る」のようなことをおっしゃっていたけれども、同意する。それほど橘玲さんは現実的でクールで現代は暗いと思わせてくれる。

なかなか自分の差別と偏見を認知することは難しい。
白人の黒人差別も白人の「一部の白人の黒人差別」も何が差別で差別じゃないのか分からなくなってくる。男女差別もしかり。

 また、自分が差別されていると思っている人に、あなたは差別主義者だと言ったらどうなるのか。という鋭い問を投げかけてくれる。
 私は九州で育ち、男尊女卑男の父と専業主婦(当時)の母のもとで育った。父は家事を全くしない人だった。父も父の親族も「男の子」を望んでいた。父は母を奴隷のように扱っていたけれども、私も女だったがそれを押し付けることはしなかったのが不思議だ。そんな父だったけれども、男尊女卑だという自覚はないらしい。本気で。彼にとっては、女であっても勉強して大学に行けと言っていた自分は先進的だそうだ。注意深く見ていくと「男女差別」というよりも、人や関係性での差別が正しいのかもしれない。
 日本のジェンダーバイアスが低いのは、自身の娘にはジェンダーバイアスが薄れるが、その他に対しては昔から変化していないのかもしれない。いや、ジェンダーバイアスというより「俺スゲーバイアス」が根っこにある気がする。

 男尊女卑男に囲まれながら25歳まで過ごしたが、そういう人たちに迎合できず、結婚を機に東京へ来たらパラダイスだった。ちなみに夫は東京出身で出会ったのは留学していたアメリカだ。
 そして、最近は男尊女卑男は基本負け犬であるという私なりのデータに基づく結論があるため、最近はそういった人を哀れみ、差別するようにしている。
 熊本にある親会社がグローバル企業で給料がそこそこいい会社で働いていたが、2013年時点で「お茶くみ」「飲み会強制」「飲み会でのお酌の強制」が行われていた。というか実体験した。お茶くみと飲み会は初回は体験してみたが、そのあとは拒否して快適に過ごした。当時は憤慨したが、よく考えてみると、ちょっといい給料もらっているから調子に乗ったお山の大将のおやじたちが、気立てのいい熊本の女性(仕事も家事も育児もする)と結婚し、さらに調子に乗った結果だと思う。しかし、新入社員の女(私)に命令を拒否されるという低スペックさのため哀れみ、差別できる。

*ちなみに九州の男≠男尊女卑≠九州男児であることは強調しておきたい。
胆力・体力・優しさ・地頭の良さを持ち合わせる大酒飲みの本物の九州男児がいることもまた真実である。

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