文体の舵をとれ練習帳

練習問題③追加問題問2


 どこにでもよくある話だ。不幸だなんて言うにはおこがましく、より苦しみを味わう人間からすれば、お前ぐらいで絶望するな──と鼻で笑われてしまうのでは無いか、〈不幸である〉踏ん切りの付かない無防備な人間の話だ──彼女はもう何もかもが面倒だった、思い通りにならないとすぐに彼女を引っぱたく父親に、味方をしてくれない母親、彼女から借金をして返さない彼氏、子供の頃から一向に改善しない体調──ある日「早く帰ってこい」と言い帰省させた彼女の父親は、末期ガンになった母親の世話を押し付け、自分の身の回りの世話までさせ──外面だけは良い父親は、親戚には自分が妻の世話をしていると言いふらし、そのくせ毎日、彼女に『母親が死んだらお前のせいだ』と圧をかけ続けた──それでも彼女は当然の義務だと思って母親の世話をして、弱ってきて罪の意識が芽生えてきた母親が夜な夜な「お父さんが怖かったからあなたに優しくできなかった、ごめんね」と言うのに対し、(死ぬぐらいで自分の罪を許して貰おうとするな)という怒りが湧くのを、本当に死ぬ人間に言っても仕方がない、と諦めて聞いていた──その後苦しみながら死んだ母親の顔を見た父親が、彼女に「葬式にも墓参りにも参加させない」とヒステリーを起こしたので、葬式後に火葬場に行き、裏にある慰霊碑に一人手を合わせた──彼女は父親、親戚とほぼ絶縁状態になったので、永遠孤独かと考えると、どんなにくだらない男でも彼氏と別れる覚悟がつかないままでいた──どうも人は簡単に狂えない、狂うのにも理性が働いて、どんなにまともでは無い場所に立っていようとも、まともであり続けたいと抗ってしまうものだ──子供の頃から感じていた生き辛さは、確実に彼女の命への執着を削り取って、ある日の晩、すっかり貪り食ってしまう──止めて欲しいというより、(私なりに生きていたことを誰かが知ってくれていたら)という気持ちで、身の上を知る友人に「今から死にます。今までどうもありがとう」とメッセージを送ったのだ。

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