文体の舵をとれ練習帳

練習問題②


 その日が最後のコンサートで運良くそのチケットを当てたファン達はみんな彼女がステージに上がった途端すすり泣きを始め最後の一曲ですと彼女が言うのを聞くと何とか我慢していた泣き声も抑えがきかなくなって溺れるような声で泣くので会場に響くえずく声と鼻水をすする音彼女はステージに立ってその汚い音を冷たくて月肌のように美しい本物すぎて偽物みたいな眼球で客席全体を見下ろし黙って聞いていてその姿はファンからすれば何よりも清く気高く一生失われるものでは無いと勘違いしていたから最後の曲が彼女の口から歌われる今日を全員狂いそうになりながら迎えた彼女はどこまでもみんなの偶像でしかしながら北極星ではなく彗星だったみな彼女の最後の言葉を聴き逃しはしないとマイクに口を近付ける動きをする彼女を見ると息を止めるように黙り待ったステージ全体を照らしていたライトの幅が彼女だけを照らすために狭くなりああ我らの光はなんと言うのだろう伸ばしても届かない場所からみんな手を伸ばし彼女もそれに合わせて真っ直ぐ聖母の如く手を差し出す彼女の小さく艶のある唇がふわりと開いたその時黒い服の男が制止を振り切って彼女の元へ彼女の腹にどすんと刃物を刺し入れて引退するなんて言わないでよと叫びスタッフに押さえつけられるみんな悲しみの色をあっという間に恐怖の色に変えて悲鳴をあげた客席が恐慌と悲痛の渦を巻こうと刺された本人は叫びもせず泣きもせず刺した男を見ることも無くずっと客席を見続けて誰かが𓏸𓏸ちゃんと愛称を呼ぶのに対し口角だけ上げてガクッと膝を落としてそれきりもう動かなくなった

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