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自由自在な、谷の家


2017年5月掲載
文:星降る谷の家fufufu 細野明里

星降る谷の家fufufuとは・・・

星がとっても綺麗で 6月にはホタルが沢山飛ぶ
奈良・室生の谷間にfufufuはあります
一言で言い表せないfufufu
カフェであって ギャラリーでもあり
音楽スタジオになることもあれば
コミュニティースペースでもある
そして駆け込み寺と言う人もいる

これは 自由自在をテーマにしてきたからこその カタチ。
自由自在と聞いたら 「なんだか大変そう…」
とか色々な意見はありますが
それは自由という見方をすればそうかもしれませんが、
私は自在(在るがままに)を大切にしています。
ゆるく社会にも繋がりながら
個性を生かしあるがままに暮らせる場が増えることを願う気持ちから
自由自在というテーマが生まれました

最近知ったのですが
自由自在=生きる究極 なんだそうな
fufufuは、 場所代はカンパ。 みんなで持ち寄りご飯の日もあれば
ごはんは食べた分とお気持ちでお支払いくださいの日もある
お手伝いか物々交換でご飯を召し上がっていただくこともあります。
持ち込みもきにしません
「300円しかないんです」と言われたら300円分でお作ります
もちろん普通にカフェメニューもあります
ありえないと言われますが
fufufuには 次に繋げるお気持ちカンパ箱があります
お金だけでなく お野菜や灯油、薪など
いろいろな支えがあって成り立っています
お金がある人ない人関係なく 枠をつくらず みんな一緒に
美味しいもの食べて ワイワイ過ごして頂きたいのが私の気持ち



なぜ「fufufu」を始めたかというと・・・


とにかく私には疑問が多く、いろんな思いが溢れすぎていたので、ずっとどうしたいのか分からずでした。私が通っていた高校は、先生も生徒も個性ゆたかな芸術学校。

障害を持った子も 不登校だった子も やんちゃな子も 勉強が出来る子も出来ない子も、みんなみんな一緒。 出来ることを生かしながら、楽しく過ごしていた とっても貴重な3年間でした。

でも卒業し社会に出ると、突然と個性は封印さていき、あんな素晴らしい絵を描いてた人も、あんなに素敵な演奏していた人も、辞めていく現実を目の当たりにしました。

またあの素晴らしい絵を見れるのかな。またあの素晴らしい演奏をきけるのかな。そんな思いがずっと頭から離れずにいました。 

そんななか私はというと、舞台科専攻だったので、劇団に入ってみたりしたものの合わず、ずっとづづけて来たバレエの講師となりました。

ところが好きなことを仕事にできて幸せと思えたのは束の間…仕事となれば思いのままに出来ない現実とぶつかりストレスとなっていました。


 そんなころ、発達障害をもつ女の子がバレエ教室にやってきたのです。 彼女は、みんなと一緒にがとても難しく、まだ二十歳の私には向き合い方がわからず、正直とっても悩む日々だったんです。

 バレエ教室なので、嫌だと言っても踊りないさいと言わないといけない辛さ。 そして嫌々な状態で発表会の日がやって来ちゃったんです。 あぁもうグダグタでもしょうがないと諦めました……


ところが、本番になると笑顔で全員が完璧に踊っていたんです。 本当に感動しました。私の中に何かが目覚めました。 

みんなみんなペースが違うもので、個性も違えば、学び方も違う。同じペースでやらなくても、それぞれありのままでも、一緒に笑って完成させることが出来るんだということに、そのとき私は気づきました。

 実は高校で学んでいたはずなのに、社会に出た瞬間に忘れていました。 同じようにやらなきゃ。 同じようには出来ないと、知らぬ間に思い込んでいたのかもしれません。 子供たちには 学んだことが、私には沢山です。

 優しい心と言葉にしなくても出来なくても、伝わる何かがあることを教えてくれました。


子供のころはみんな一緒だったのに、どんどん分けられていく社会。 

いろんな生き方があっていいと思うし、いろんな選択がある。 あたりまえのカタチなんてなくて、それぞれのスタイルで生きていけたらと私は願う。 みんながみんな、オリジナルスタイルだとしても、一緒に笑えるしチカラを合わせることだってできる。

伝えたいことがあるといえば、子供にも大人にも無限の選択があるということ。 在るがままには、無限の広がりがあるように私は思っています。

 里の市もありのままに居れる場所だからか、とっても居心地がいいです♪ 声をあげて伝えるタイプじゃないので、ふわっと感じるぐらいに伝わったら私にはちょうどいいかな(笑) 

こうだ!!って思いすぎると、不自由になってしまうので…



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