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根っこのこと

2019年4月掲載
文:うづ芽(根っこ、CAFE-NeKKO)
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 私が生まれたのは、丁度、高度経済成長の真っ只中でした。日本が物質的豊かさを求め邁進する世の中に幼いながらも違和感を感じたのでしょうか。そんな世の中に抗う様に自分の根っこ、日本人の根っこ等の精神的豊かさを探し求める子供でした。


 私は三歳の頃から箏を習い始めました。母が師匠だったので、母の練習を一日中、子守唄の様に聴いて育ちました。箏、三味線、尺八の事を三曲と呼びますが、心地よかったはずの、それらの音が、いつの頃からか、狂った様な変な音に聴え始めたのです。


 その上、世の中には五線譜にのせた西洋(西洋風)の音楽が溢れていたので、日本の伝統楽器を奏でていることが恥ずかしくなり始めました。なんとか十年間は続けましたが、今思えばその狂った様に聴こえる音が日本の音階だったのです。それが西洋の平均律が入る前の日本人が古来から慣れ親しんできた心地よい響きだったのだと思います。



 私が曲をつくりはじめたのは、三味線音楽の師匠に弟子入りして伝承歌を習った後、暫く音楽から離れていた頃の事です。ある日の朝方、突然言葉が浮かび、その後に旋律が頭の中で響き始めました。音が消えてしまう前に、私が慌ててとった方法は、ひたすら歌い続けることでした。

 それ以降、五線譜等の譜面に表記せずに、何日も口ずさみ身体に覚えこませる方法で歌を作っています。そうする事で、幼い頃から無意識に染み込んだ日本の音階が自然に出てくるのかもしれません。

 その後、夫と出逢い「根っこ」と言う名前で音楽を始めた頃は民族楽器を合わせたり試行錯誤の連続でした。最近は日本の音階に敢えてギターを合わせる事で東洋と西洋の融合を目指し、お互いの良さを混ぜ合って、曲作りをしています。



 移動カフェのCAFE–NeKKOも震災直後に関西に越してから半年後に出店を始めました。

 兼ねてから大地に根ざした暮らしを夢見ていたので、半農半Xを目指し、暮らしを営む為の手段Xを探していました。ちょうどその頃、珈琲の生豆問屋の社長さんと知り合い、勢いで珈琲豆の焙煎機を購入しました。

 夫は、関東のオーガニックレストランのキッチンで働き、食に関する勘を磨いていたので、独学で豆の焙煎を勉強し、研究を重ねました。今では卸売りなどの豆の販売、各地のマルシェでのドリップ珈琲とワッフル、お食事等の出店で生計をたてています。

 そして、農的暮らしを実現するため、奈良県室生の山奥に四年前に移り住み、去年からは田んぼを始めました。現在は半農半カフェで暮らしを営んでいます。


 現代社会の問題は詰まるところ、大地と切り離された生活から生まれるのではないでしょうか。都会の暮らしでは、八百萬の神々の(万物には魂、神が宿る)ことを感じる暇などありませんでした。大地の上で田畑を耕している今は、その存在を身近に感じることができます。

 大自然に対しての謙虚さと尊敬の念を持ち、先人の声に、ふと立ち止まって考える事は、今の時代、特に大切ではないでしょうか。

 昔の人々は、自然の恩恵を受けながら、共同体の中で年長者から伝えられる歌や民話と共に暮らす事で、生きる上での根本的な考え方や哲学を身につけていたのではないでしょうか。 (生きとし生けるもの、すべてが存在するからこそ、自分が今ここに産まれ生かされているのだということを)


 そして、日本の伝統音楽に対して私が幼少期に感じた違和感は現代の日本人の殆どが感じているのではないかと思います。けれど、日本人に生まれたのに、日本の音楽等の文化に違和感を抱く事は悲しい事ではないでしょうか。



 私が数年前から明治以前の伝承歌等に「いにしえわらべうた」民話語りに「いにしえ語り」と名付け小さな活動をしているのは先人の知恵の詰まった古来から歌い語り継がれて来た歌やお話を次の時代にも繋げていきたいと願うからです。


 ギターも珈琲も日本に古来から伝わっていたものではありません。けれど、現代の日本で自分の根っこである日本文化を土台にして、西洋や東洋との文化を上手く混ぜ合わせ融合させていくことが、根っこ、CAFE–NeKKO、NEKKO–KIKOU、そして、いにしえわらべうた、いにしえ語りの根底(ねっこ)に流れている信念なのです。


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