「もう一度70歳になれるのなら何でもくれてやる」
明日の言葉(その35)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。
今月59歳になった。
来年はついに60歳である。
先輩たちもみんなそう言うのだけど、まさか自分が60歳になるなんて、ほんと、想像もしなかったよ。
でも、我が身を振り返れば、確かに年相応になってきているし、いちいち言い訳することも増えてきた。
体力落ちたなぁ、歳だからなぁ。
酒、弱くなったなぁ、歳だからなぁ。
集中力なくなったなぁ、歳だからなぁ。
朝から妙にだりぃーなぁ、歳だからなぁ。
脂っこいのつらくなったなぁ、歳だからなぁ。
まぁ便利ですからね。なんでも歳のせいにすれば。
でもそんなとき、イギリスの動物学者デズモンド・モリスが書いたこんな言葉を思い出す。
「もう一度70歳になれるのなら何でもくれてやる」
これはデズモンド・モリス本人が言った言葉ではない。
彼の本の中のあるエピソードに書かれている言葉である。
彼は、92歳の老人が美しい少女を見てそう嘆いた、というエピソードを紹介している。
そう、92歳から見ると、70歳という「人生の終盤に近いと思える年齢」も、「そんなに若ければなんでもできるよねー!」ってうらやましく思うくらいな年齢なのだ。
92歳から見ると、70歳なんて「可能性の塊」、というわけである。
・・・まぁ、そうだよね。
92歳まで22年もあるからね。
多少カラダは不自由になるけれど、ちゃんと向き合えばその22年で何でもできる。
そんな思いをもっている92歳から見たら、59歳のボクなんて「可能性の塊」どころか単なるオコチャマだ。
だって33年もあるからなぁ。。。
「歳だから」とか自嘲してたら大笑いされるの必定だ。
「今日が残りの人生で一番若い日」、みたいな言葉をよく聞く。
これ、中年くらいまでならそれでいいんだけど、老年を意識し出すと、言葉を逆の意味に言い換えて言い訳することも増えていく。
つまり、「今日がいままでの人生で一番トシをとっている日」。
だから、だるいのも仕方ないよねー、みたいなw
いや、わかってるんですよ?
今日が一番若い。
そのとおり。
でも、「そうだ、一番若いからもうひと踏ん張り!」とか思っても体力が付いてこず疲れてしまう。嗚呼と天を仰いで「やっぱ結局今日が一番トシをとってる日」って実感しちゃったりするのである。
そういう意味で、ボクには前述の言葉のほうが、より心に効く。
「もう一度70歳になれるのなら何でもくれてやる」
おお!って毎回思う。
そうかー、って毎回思う。
なぜかというと、視点が「92歳から」だからだ。
「もうひと踏ん張り!」ってがんばって、ぜんぜん体力がついてこなくても、比較対象が92歳なので、「まぁ92歳よりは疲れてないかもな」って、遠いところに基準を置ける。
そうやって92歳の視点に立ってみるといろんなことがポジになる。
55歳だろうが、60歳だろうが、65歳だろうが、70歳だろうが、あなたの前に無限の可能性が広がっているのが実感できるだろう。
92歳に比べれば、体力もあるし、酒も強いし、集中力もあるし、だりぃーこともないし、脂っこいのも楽しめるのである。
ちょっとまた、定期的にくる「食物アレルギーによるウツ」に襲われているので、自戒を込めて書いてみた。
いやいや、ほんと、92歳から見たら、きっとオコチャマな悩みなのだ。
そこ、ちゃんと自覚しようね、オレ。
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。