迷ったら、それはゴミ。
明日の言葉(その22)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。
ボクがまだ20代のころのことだ。
ボクがいた広告クリエイティブ部門(広告制作部門)に新しい室長がやってきた。
200人くらいを統べる上司である。
しかも、まったく違う部門からの横滑りで、ボクたちからするといわゆる「門外漢」かつ「ド素人」、クリエイティブの仕事や現場の実際を理解しているとは思えない。
なんちゅう人事だよ・・・。
みんな、その人事に対しての疑念と不信と怒りを隠さず、新室長に対しても警戒を解かなかった。現場を何もわかっていないヒトが組織をぐじゃぐじゃにしちゃうことはよくあることだ。
変なことしたらタダじゃ置かない!
そんな空気が蔓延していた。
つまり、新室長は超アウェイの環境に異動してきたのである。
ある日。
その室長を迎えての初の「定例室会」みたいなものがあった。
彼が異動してきて2週間ほど経っての、全室員出席の全体会である。
公式に室長が全員に挨拶するのは、そのときが初めてであった。
みんなゾロゾロとその会場に入っていく。みんな少し緊張している。人事に怒ってはいるが、みんな不安なのだ。
「いったいどんなヒトなんだろう?」
「ボクたちのことを理解してくれるのかな?」
「変な方針とか発表されたらホント困るよな」
室長の挨拶が始まった。
なんでだろう。
ボクはいまでもわりとこのときの挨拶の内容を覚えている。
それはこんなような挨拶だった。
おはようございます!
○○です。まだ初めましての方も多いですよね。今月からよろしくお願いします。
えー、私は、ご存じの通り、長く△△△(部署名)にいたわけですが、そこからこの部門に「裸一貫」でやってまいりました。スーツは着ていますが、裸一貫です。文字通り何も持たずにやって来ました。
なんのことだ?
みんな虚を突かれて話に聴き入る。
全部捨てて来ちゃったんです。
いや、捨てるつもりはなかったんです。でも、捨てちゃったんです。
私はみなさんとは全く違う畑を歩んできたわけですが、私にも私なりに、大切な仕事の企画書とか、膨大な資料とか、愛用している手帳とか、同僚たちとの写真とか、記念品とかゴルフのトロフィーとか、それなりに長い会社人生で溜め込んだいろいろを持っていたわけです。
で、こちらに引っ越してくる前、新しい部署に行くのだから、と、かなり思い切って整理して、本当に大切なものだけ、ダンボール4つにまとめました。
捨てるものもまたダンボール6つくらいにまとめました。そう、ずいぶん整理したんです。そして、秘書に『こちらは捨てといて』とお願いして、送別会に出かけたわけです。
そしたら、なんと!
翌朝、二日酔いで出社して、この部屋の新しいデスクに来たら、ゴミのほうのダンボールだけ届いていたんです!
え! まさか!
この「え! まさか!」のところなんて、かなりの大声である。
うーむ、なかなかスピーチがうまい。緩急つけてるw
もっとお堅い所信表明的スピーチをすると思っていたボクたちは、予想外の展開に引き込まれた。
いっそいで前の秘書に聞いたら、大切なほうのダンボールをゴミに出した、というんです。
「え!すいません!あっちが大切なほうだったんですか!」って、急いで総務課に連絡して追跡してくれたんですが、もうゴミは収集車が持って行っちゃった後だったんですね・・・。
もう、きれいさっぱりです。
会社生活25年のあらゆる企画書、あらゆる資料、あらゆる思い出の品が、すべて消えてしまいました。
それだけでなく、仕事をしていく上での必需品や愛用品まで、すべて消えてしまいました。
あー、そりゃつらいわ。
当時「何でも取っておくタイプ」だったボクは、「そんなことになったら死んでまうわ」くらいに思って聞いていた。最初は敵意があったのに、もう完全に共感しながら聞いているw
あれから2週間、ひとつわかったことがあります。
それらがないと生きていけない、と思い込んでいたものがすべてなくなっても、「な〜んにも困らない」という事実です。
実際、な〜んにも困ってません。
逆に新鮮です。生まれ変わった気分です。
そして、ゴミと一緒に、いままでいた部署の常識とか、過去の経験とかも捨ててしまいました。
自分の心の中にも「何も入っていない新しいスペース」ができました。
その真っさらな場所に、どんどん新しい知識が入ってきている最中です。
私は、みなさんの仕事のことはそんなにわかりません。
現場のこともまだちゃんとは理解していません。
でも、文字通り裸一貫、前の部署のことはきれいさっぱり捨て去って、いちから勉強させてもらおうと思っています。
いろいろ教えてください。
これから、よろしくお願いします。
・・・いいスピーチだった。思わず拍手が起こった。
おいおい、なんだよ、いい人じゃないか。
みんなが警戒を解いていくのがわかる。
そして、実際、その室長はいい人であり、優秀な人でもあった。
数年で次の部署に異動していったが、結局役員クラスまで出世をした。
このスピーチ、そのスピーチ・テクニックも含めて、いろんな意味でボクの印象に残っているのだが、ボクの中で特に覚えているのは「全部捨てちゃったけど、な〜んにも困らなかった」という部分である。
そこ?って思うかもだけど、なんだかその部分が長く頭にこびりつき、「そうだよな〜」「確かにな〜」と何度か反芻していた。
その数年後だったか、室の「年末大掃除・大整理促進ポスター」を作ることになり、「佐藤、コピーを書いてくれないかな?」と言われたとき、ボクは室長のスピーチを思い出し、それをなんとか短い言葉にしよう、と考えた。
全部捨てちゃっても、な〜んにも困らない・・・。
んー、「全部捨てちゃおう」っていう感じのコピーは逆に反感買うよなぁ。
でも、「意外と捨てちゃっていい」って方向で書きたいなぁ・・・。
ん? この「意外と」って、なんだろう。
これは大事だ、と思っているものも、そうでもないよ、ということだよな。
その大事さをまず疑ってみて、少しでも疑えるなら捨ててもいいんじゃない?って感じかな・・・
そうやって数日考えた挙げ句、ひとつのコピーを作成した。
その、「年末大掃除・大整理促進ポスター」に載せたコピーがこれである。
迷ったら、それはゴミ。
自分のコピーながら、いまでも自分の掃除時の指針にしている。
自己満足ながら、自分にはわりとよく効く言葉なのだ。
当時はまだ「断捨離」という言葉もなく、「コンマリ」の存在もない時代。
というか、バブルの余韻があった頃なので、「物がたくさんあるのが善」という価値観の時代である。「捨てる」という価値観が持てはやされるのはもうちょい後のことになる。
そういう時代だからこそ、このコピーは(手前味噌ながらも)わりと部署の人たちにインパクトをもって迎えられた。
みんな「マジかー」「イヤなコピーだなー」「でも確かにそうだなぁ」などとブツブツ言いながら、いろんなものを捨てていた。
そして、ボクは、自分で書いたこのコピーを、その後長く、掃除のたびに、念仏のように唱えるようになるのである。
さて。
時は12月。大掃除の月。
掃除のとき、ボクはいまでもあの室長のことをちょっと思い出し、「全部捨てちゃったけど、な〜んにも困らなかった」という言葉を思い出し、同時に、自分が書いたコピーも思い出す。
迷ったら、それはゴミ。
そう、その物を手に持ってみて、「絶対捨てない!」と確信しないもの以外、すべてゴミだ。
ボクはわりと「何にでもときめいちゃうタイプ」なのでw、コンマリ風片づけの魔法はあんまり効かない。
それよりも、「迷ったら、それはゴミ。」のほうが効く。
さて、掃除しよ。
ハイそれ! 少しでも迷ったら、捨てる捨てる!
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。