スクリーンショット_2019-11-27_6

好きアート(1) 〜ポロック『One: Number 31, 1950』

思うところあって、アートの勉強をしています(描く方ではなく見る方)。
いろいろ知っていく中で気に入った「好きアート」を少しずつ書いていこうと思います。勉強の一環でもあるので、記憶のための整理も兼ねてます。


ポロックのこの絵に初めて出会ったのは1993年だったか、初めてニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)に行ったときだ。

MoMAはボクの人生で一番多く行った美術館なのだけど、MoMAに行くときは必ずポロックのこの絵の前のベンチに居座る。

このベンチ(↓)
展示場所によって風景は多少変わるが、この絵の前には必ずベンチが置かれている。幅が5.31メートルもあるので、少し離れて全体を見るのが良い。


画像4


ずーっと30分は居座る。
じーっとこの絵を眺める。
すーっとこの絵に吸い込まれる感じになるまでゆっくり粘る。

そのくらいは好きな絵だ。

なんでこんなに惹かれるんだろう。

最初は「これが絵か?」と思ったし、アクション・ペインティングのなんたるかも知らなかった。

ただ、すごいパワーは感じたし、なんだろう、なんかとっても「普遍」を感じた。

そして、都市における「無作為の作為」みたいなものに近いものも感じる。

たとえば個人サイトにこのベンチに座ったときの日記(2005年10月)が残っていたので、ちょっと引用してみる。

MoMAに来るといつでもポロックの前に数十分座り込んで楽しむのだが、今回もポロックを見つけるや否や「おひさ〜」と座り込む。マイ・フェバリット。見慣れた構図。

で、なんとなく目を細めて見ていたら、なんとポロックの絵が「Google Map」の空撮地図に見えてきた(!)。黒い線が川で白い線が道。

一見乱雑に絵の具を垂らしただけに見えるポロックだが、目を細めると本当にMapとして見え、Mapとして見るときちんと秩序とバランスが取れている。ある意味地球の縮図になっている感じ。それだけ普遍性がある構成ということか。

ポロックの他の作品にも「これってどう見ても千葉県の空撮〜」というのがあり(緑色が効果的に使ってあるのだが、目を細めてみるとそれがゴルフ場の空撮に見えてくる)なんだか違ったポロックの楽しみを見つけた気分。


黒い線が川で、白い線が道・・・

見えますかね?w

スクリーンショット 2019-11-27 6.55.09



なんというか、都市計画がされていないオーガニックな都市って、「無作為の作為」みたいなものでカオスに広がっていくものだと思うのだけど、それに近い感覚を毎回受けるんだよなぁ。

そして、このベンチに座ってジィーーッとこれを見ていると、ゲシュタルト崩壊みたいな感じで、それらのカオスから何かが浮き上がって意味を持ち出す。

その挙げ句、すぅーっとその中に自分が吸い込まれていくような感覚になる。

その瞬間とか、本当に好きだなぁ・・・。


この絵はいわゆる「アクション・ペインティング」というものだ。

アクション・ペインティングと名付けたのは評論家のハロルド・ローゼンバーグ。
「描かれているもの以上に美術家がキャンバス上で行ったであろう行為を強く感じさせる絵画」のことだそうである。

そう、ポロックの行為を強く感じさせる。
それはそう。

実際のところ、ポロックはこの絵をこんな風に描いていったらしい。
(動画なので興味ある方は是非。ちなみに中に出てくる人はポロックではない)(実際には足場を組んでもっと高いところから絵の具を落としていくパターンもあるみたい)


そういう「行為」は確かに強く感じるんだけど、その行為は「無作為を狙いながら作為」なわけで、その辺の絶妙なバランスを毎回おもしろく思う。

あと、「やめどき」が難しそうだ、とも毎回感じる。

ポロックは、いつ、「ここでストップ! 完成!」って思うんだろ。

その辺の「作為」もとっても面白いな、と思う。


何回目のMoMAだったか忘れたけど、ミュージアム・ショップにポロックのCDが売っていて、速攻で買った。

彼の膨大なジャズ・コレクションから、キュレーターが選んだ17曲が収録されている。

彼は、インスピレーションを得るためにきっとジャズをずっと聴いていた。

この中に創作の秘密はあるんだろう、と思って、一時期すごくよく聴いた(残念ながらアマゾンでは売っていない)

なぜなら、彼の絵はすごくジャズっぽいから。

画像3


あぁ、この絵を見るためだけに、またニューヨーク行きたいなぁとよく思う。
あのベンチに今日も誰かが座っている。
ただただ、うらやましい。


ポロックは、自分を瞬間で「異化」してくれる。
そんなアート、あんまり他にない。

ボクにとって、とても大切な絵なのである。



最後にお勉強。
(あとで書き換えたり、追記したり、まとめ直したりします)

アクション・ペインティング:

抽象表現主義の中でも、代表的な人物はジャクソン・ポロックであろう。
彼は床に置いたキャンバスの上を動き回り、ペンキを垂らしたり撥ね付けたりという型破りな描き方で注目を集めた。
アドルフ・ゴッドリーブウィレム・デ・クーニングらの激しい筆致も全身を使った画家の激しい動きによって描かれたことを見るものに感じさせた。

彼らは、その常識外れの描き方やできた作品の激しさから、40年代後半から50年代前半にかけてマスコミにスキャンダラスに取り上げられ有名になり、保守的な評論家やマスコミなどからは「誰でもかけそうな、子供の落書き」と攻撃されたが、その作品の直接的な強さや生命力は大戦後の人々をひきつけるものがあり熱狂的な支持も生んだ。

またアメリカに一連のスター画家が生まれているという印象を国内外に与えることになった。

アクション・ペインティングは、フランスの「アンフォルメル」や日本の「具体」など、同時期に世界中で同時多発的に行われていた、「描く内容」よりも「描く行為、描き方」を重視する一連の運動とも同時に語られ、戦後のアメリカを代表する同時代美術として見られるようになった。


抽象表現主義とは:

抽象表現主義(Abstract expressionism)は、1940年代後半のアメリカ合衆国で起こり、世界的に注目された美術の動向である。
主な特徴は、

・巨大なキャンバス(イーゼル絵画との決別)
・画面に中心がなく、地と図の区別がない、「オールオーバー」(均一)な平面
・キャンバスは、作家の描画行為の痕跡(フィールド)であると考え、創作過程を重視する


代表的な作家は、
ジャクソン・ポロック
バーネット・ニューマン
マーク・ロスコ
ウィレム・デ・クーニング
ロバート・マザウェル
など。

彼らを評価した批評家として、クレメント・グリーンバーグ、ハロルド・ローゼンバーグなどが有名である。

アメリカがはじめて世界に影響を及ぼした美術運動であり、ニューヨークがパリに代わって芸術の中心地となるきっかけになった。

「ニューヨーク・スクール」(ニューヨーク派)とも呼ばれる


表現主義と抽象絵画:

「抽象表現主義」は、はじめ第1次世界大戦後のヨーロッパ絵画に使われた言葉であったが、1946年、評論家のロバート・コーツによってアメリカの美術運動にこの語が当てはめられ、普及した。

「抽象」という言葉はバウハウス、未来派、キュビズム、その他1930年代の抽象絵画などの非具象の美学を引き継いでおり、「表現主義」という言葉はドイツ表現主義などの自己表現、激しい感情の表現を引き継いでいる。

激しい感情をキャンバスに叩きつけるようなウィレム・デ・クーニングの作風が典型的と思われがちであるが、マーク・ロスコのように単純に色面を並べる作品や、赤や黒などの単色を塗っただけのバーネット・ニューマンアド・ラインハートらの画家が抽象表現主義のカテゴリーにくくられている。

これらの抽象表現を、(ピエト・モンドリアンらの流れを汲むような)幾何学的な抽象表現である「冷たい抽象」に対し、行為や色面で感情表現をするような「熱い抽象」と呼ぶこともあった



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。