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寺尾聰 『Reflections』

人生に欠かせないオールタイムベストな音楽をいろいろと紹介していきたいと思います。ジャズ、クラシック、ロック、ポップス、歌謡曲、フォーク、J-Popなど、脈絡なくいろいろと。


1981年(昭和56年)。

ボクにとってはこの年の3月に「ピンクレディ解散」という個人的大事件があったのだけど・・・。

それとは関係なく、松田聖子が前年末からヒットを連発し始め(前年末といえばジョン・レノンが撃たれたのも前年。山口百恵が結婚したのも前年)、近藤真彦もばんばんヒットを飛ばし、チャールズとダイアナが結婚をし、向田邦子の乗った飛行機が落ち、福井謙一がノーベル賞を受賞したのがこの年。

「長い夜」「ハイスクールララバイ」「メモリーグラス」「恋のぼんちシート」「みちのくひとり旅」「セーラー服と機関銃」「ペガサスの朝」なんてのもこの年流行った。

そしてこの年、ボクは二十歳。

ポール・ニザンは名著『アデン・アラビア』のなかで、

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせまい。

と、なんとも美しい文章でこの年齢の危うさについて語っているが、ボクにとっても、決して「一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい」的1年であった。

もちろん楽しいこともいっぱいあった。
でも、落差が激しかった。

わかりやすく出来事として語れば、

一浪のすえどうにか大学合格=明
腹膜炎で生死の境をさまよう=暗

みたいなことがこの年に起こり、人生がドラスティックに変わったのがこの年だった。

浪人というトンネルを抜けて世の中が明るく輝いていた春。
そして沖縄の久米島で友達と遊びほうけた夏。

楽しかった。
美しかった。
人生は輝いていた。

でも、急転直下ってヤツがやってくる。

その久米島で、最終日の夜に七転八倒レベルのものすごい腹痛が来たのだが、ついでに台風まで来てしまい、ヒコーキ欠航で2泊延泊している間に症状が悪化し、半死半生で東京に帰って大病院に緊急入院したのである。

「あと3時間手術が遅かったら死んでました」と、あとで医者に言われた(ひぃ〜、あと1日ヒコーキ飛ばなかったら確実に死んでいた)。

盲腸が悪化し、腹膜炎になっていた。
救命病棟みたいなところで、大勢に囲まれての緊急手術。
生死の境を漂った。
ボクの巨大化し破裂した盲腸は、見事なサンプルとして大病院に保管されたそうである。

そこからは長くつらい入院生活・・・。
大学1年の夏〜秋が暗い入院生活で終わっていった。

浪人という束縛から逃れた途端、もっと過酷な束縛をうけ、生と死を否応なしに考えさせられ、しかもまわりのベッドには二十歳の若者が見なくてもいいような様々な人生が溢れている。

二十歳という年齢のうすっぺらい人生観がペリペリ剥がされていく毎日だった。

・・・で、ようやく寺尾聡なんだけど(笑)。

そんなボクの「二十歳の明暗」を見事に対比させてくれた2つのアルバムがあったわけです。

大瀧詠一『A LONG VACATION』=明
寺尾聰 『Reflections』      =暗


両方ともこの年に発売された。

『A LONG VACATION』が1981年3月21日発売。
『Reflections』が1981年4月5日発売。

あの頃の「明」を思い出したければ大瀧詠一を聴けばいいし、あの頃の「暗」を思い出したければ寺尾聰を聴けばいい。

そのくらい見事に印象が合致している、ボクの二十歳の2枚が、これなのだ。

前者は、沖縄、健康的、若さ、悩むだけ時間の無駄、明るい未来への期待、の象徴。
後者は、入院、不健康、大人、いったい人生って?、明日への苦しい脱皮、の象徴だ。



「明」の『A LONG VACATION』については、以下に熱く書いた。


で、「暗」の『Reflections』。

別にこのアルバム自体が暗いわけではない。
ハバナの浜辺を歌った歌も入っているくらいで。

ただトータルとして暗い大人の夜を演出している。

夜の匂い、トレンチコート、バーボン、シガレット、夜景、大人……
こういったいかにも大人の雰囲気が、入院してシニカルになっていたボクの琴線のどこか触れたのかもしれない。


それにしてもよく出来ているアルバムだ。

シングルカットした超大ヒット「ルビーの指環」、そして名曲「シャドーシティ」「出航 SASURAI」

とにかく入っている曲がすべて奇跡的な出来。

「HABANA EXPRESS」「渚のカンパリ・ソーダ」「喜望峰」
「二季物語」「予期せぬ出来事」「ダイヤルM」「北ウイング」

どれもとても完成度が高く、実に感服もの。
アルバムとしての流れもよく、(当時はレコードだったので)A面とB面をひっくり返すのももどかしく、何度も何度も聴いていた。

それまで寺尾聰と言えば「宇野重吉の息子」という程度の認識しかなかったのに、いきなり(ボクの中でもみなの中でも)トップ・アーティストである。

そういえばサベージのメンバーだったらしいね、なんてささやかれる程度の人だったんだけど、とにかくこのアルバムの完成度からするととんでもない逸材なんだろうとボクたちは期待した。

まぁその期待も次作の『Atmosphere』でちょっと萎んでしまったのだけれど・・・。

いや、でも贅沢は言うまい。
ここまですごいアルバムを残してくれたんだ。
つまり、この『Reflections』は、アーティストと時代とタイミングが重なって奇跡的に出来た名作だった、ということだと思う。



ボクの二十歳の「暗」の部分を象徴したこのアルバム。
いまでも聴くと、なんかいろいろ思いだして涙が滲む。

皆さんにもそういうアルバム、ありますよね?
ボクはこのアルバム、大事にずっと聴いていくと思うな。

一生もののアルバムをどうもありがとうございました、寺尾さん。



ちなみに、若い人は当然知らないと思うけど、シングルカットの「ルビーの指環」のヒット具合は本当にすごかったのだ。
毎週毎週TBSの「ザ・ベストテン」に出てきて、最後には「ルビーの指環ソファ」まで番組からもらってしまったりして、オリコンでは10週連続1位。

とにかく「その時代でトップの盛り上がり」と言っても過言ではないくらいなヒットだった。こういう感じって「ダンシング・オールナイト」以来だったと思う。


※※
ボクは当時20歳だったせいもあって、寺尾聰ってずいぶん歳とっているというか、大人っぽい印象があったんだけど、今調べてみたら、当時彼は34歳だった!
思ったより若いなあ・・・34歳には見えないなぁ。34歳であんな渋い歌歌っていたのか・・・。

※※※
そういえば最近(2019年)、このアルバムの中の名曲「出航 SASURAI」が「平松剛法律事務所」というところのCMで使われていてビックリしたなぁ・・・。



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