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「つづける」の捉え方
こんばんは。会社を退職して1週間が経ちました。
退職前は「無職を全力で謳歌するんだ!!」と決意していましたが、いざフリーになってみるとそういうわけでもなく、朝起きたらちょっと手の込んだ朝食をつくるくらいの毎日です。
ただ、「時間に追われない」というのが想像以上に快適なことだと気づきました。なんとなく先延ばしにしていた面倒ごとに手が向いたり、部屋の片付けが苦じゃなくなっていたり。気持ちと時間に少し余裕ができるだけで、こんなにあっさり片付いてしまうんだなとちょっと驚いています。
その中でも、「つづける」ことについての気づきがあったので
日記に書いておきます。もうね、忘れるからね。すぐね。
自分は昔から「始めたら配分を考えずがむしゃらに取り組んだ結果燃え尽きてしまい継続できず断念」「やらなきゃいけないと思うと腰が重くて取り組む前に断念」というタイプでした。でしたというか今もそういうところは多分にあるんですけど(ピアノとか)。
ただ、今日自分で「続いてんじゃん」と気付いた事がありました。Twitterでたまに更新している漫画です。更新ペースは年に2,3回程度だし、内容もかける時間もまちまちですが気づけば5年も続いていました。これは継続といっても良いんじゃなかろうか。
「ぇ、つまり何?気が向いたらやる程度のスタンスなら続くのか!!」
そりゃそうだろって感じですけど、これまでは自分の中で無意識に「続ける=常に継続する」というイメージがあったのと、「やらなきゃ」と思っていた結果、少しでも中断してはダメ!先延ばしにしたら罪悪感が!みたいな負の連鎖が起こってたんです。
何も「ハードルを高く設定する=目標が高い」ではないんだなーって。
そりゃそうやろ。そんなんで出来るんやったらはじめから断念とかせんわ。
「気が向いた時に取り組む」とか、「やらなきゃじゃなくてやろうかなーと思ってみる」とか。考え方の角度を少し変えるだけで捉え方も大きく変わるんだなーと再認識しました。
仕事や何か責任を伴うことだと「気が向いた時に」なんてスタンスではいられませんが、こっちは趣味です。絵だって掃除だって気が向いた時にふらっと手を伸ばせばいいと思えばぐっとハードルも下がるもんですね。
頻繁にジムに行って体を鍛えている人や長期の目標を立てて何かに取り組んでいる人を見るとその自制心の強さに頭が下がる思いですが、まずは自分の中で「つづける」ことに慣れていこうと思います。
気持ちと時間に余裕を持つことの大切さに気付いたってお話でした。
今日の気づき
・頻度が高いことをつづけるとはいわない(ものによるけどな)
・ただそこに甘えて先延ばしにしてはつづけるとはいえない(当たり前や)
・自分にハイスペックな処理能力を求めるのやめようね。
・小倉の旦過市場で買った鳥肝と白和えが美味しかった(また行こう)
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