お金の赤ちゃん 1

これはスタンスやアティチュードの話ではない。ポケットの中で踊る小銭たちの、色と大きさを変えるまでの出来事です。


2017年、俺は2度目の大学を卒業し、新卒で建設会社に入社した。このへんでは大手と言われるようなところだったが、隙のない激務、7〜0時が定時(揶揄です)。恫喝、恐喝、暴行が当たり前に横行し、〜ハラというような横文字の範疇を軽く超える出来事が毎日のように身に降りかかってきた。休日出勤を入れて月に150〜200時間残業し、60時間で申請する。この業種では当たり前かもしれないが、俺には理解できなかった。情緒、身体的にもおかしくなり、もうダメだと気づくまで2年半かかった。生きててよかった。しかし、さすが60時間帳簿につけているだけあって、偏差値50以下大学卒の理系1・2年目の年収とは思えない額の給料をもらっていた。

俺は調子に乗っていた。

夫婦共働きで小学校では塾やスキー、ピアノなど習い事も通わせてくれたし、平均よりは収入がある家庭だったと思う。小学生6年生で通い始めた学習塾での成績が良くなり、俺は頭がいいのかもしれないと勘違いをし始め、中学受験を試みる。札幌の中高一貫男子校と江別の中高一貫共学校にまんまと合格し、地元公立中学と合わせて3択の中からわざわざ札幌の男子校を選択してしまう。硬派な奴だ。入学後すぐ、俺は頭が良かったわけではない。ここはバケモンの巣窟だ、と気付くが、とりあえず大学に行かなくては!と思っていたので一浪して東京の私立大学に行く。大学3年生の冬、単位が全く足りていないことに焦る。時すでに遅し。中退して1年間のフリーターの後、札幌の私立大学に1年生から入学し直す。

列挙しながら軽く手が震えるが、恐ろしいほど金がかかっている。本当にパパママサンキューである。最後の大学は学費がタダだったにしろ、バイト代じゃ家賃光熱費くらいにしかならんので仕送りをもらっていた。

つまり、俺は特にお金の心配をせず、お金に関してなんの知識もなく、食うものに困らず26歳まで生きてきてしまっていた。その上前述の激務と給料、たまの休みには散財に次ぐ散財、保険屋に言われた通りの高額保障を契約し、資格学校に通うのに120万のローンを組み(一度も通学してない)、月に2日もいない家の家賃を払い続け、毎日夜中にコンビニで3000円くらい使っていた。完全なる阿呆だ。

そして2019年秋、29歳になり転職。桃鉄の決算時の表だったらキングボンビーに残忍にサイコロ10個振らされた年のように給料が下がった。固定費だけでマイナスになる。ヤバい。どうしよう…何も分からず節約って何?状態。そもそも固定費でマイナスになってるのに節約もクソもないのである。自分の給料から月にいくら何に使っているかも考えたこともなく、あるから使う、なければ給料日を待って使う、というような生活をしていたので何が高いかもわからない。俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ。そこでタバコに火をつけ(金ないのに吸うな)空を見上げてふと思う…

「俺はお金の赤ちゃんだ…」

そんな訳でお金の赤ちゃんがオギャーと爆誕、お金と世の中の仕組みをひとつずつ考え、学び、ポケットの小銭を少しずつ増やしていく様をほぼリアルタイムで多少の脚色や隠し事をしながら更新していきます。


今日使ったお金

¥370 (ゴールデンバットメンソール)

金ないなら吸うな!



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