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与える

主よ 慰められるよりは 慰めることを求められますように
理解されるよりは 理解されることを
愛されるよりは 愛すること
私たちは与えられることにおいて 与えられ
赦すことにおいて 赦され
死ぬことにおいて 永遠の命を手に入れることができるのです
(アッシンジのフランチェスコ 平和の祈りより)


2年前、私がマレーシアに行ったとき、与えれた大切な言葉です。

与えられることにおいて与えられる。
私たちは誰かに何かを与えるときにどうしても見返りを求めてしまう。
そして、見返りがないとその相手に対して失望してしまう時さえある。

でも、考えてみてほしい。
それは本当に相手のために「与えたもの」なの?
もしかしたら、与えた後に得られる相手からの「報酬」を望んでいただけじゃないの?

誰かに何かを与えるとき
それは誰のための行動なのか考えることってすごく大切だと思う。
そして、目的が自分になっていたら、
それは相手のためになっているのか考えてみよう。

一方、自分の大切な人。守りたい人。手離したくない人には、与え続けよう。
自分の欲求ではなく、相手の欲求を満たしてあげよう。
相手の届けたいところに与えよう。
愛を与え続けよう。

そのあなたの少しの意識で、
きっと救われる人はいるはずだから。

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