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白いレース

『ーー"シミチョロ"と言う言葉を知っていますか?
知らないだろうなぁ』
テレビのトーク番組で唐突に言っているのは、
さだまさしである。
思わず聞き耳をたてた。しかし、テレビの中のスタジオ参加者は若者が多く、みんな怪訝そうな顔をしている。当然話題はそれまでであった。


今では死語になってしまったシミチョロと言う言葉が生まれたのは、戦後がやっと落ち着き、女性がそろってスカートをはきだしたころである。洋服の下にはかならずシュミーズという肌着をつけていた。正確な呼び名がなまってシミーズと言ったり、シミズと縮めたりするほど、日常の中に溶け込んでいたのだ。


上衣が汗で汚れるのを防ぐというのが主な目的であったが、衣類の滑りがよく、薄物の衣類の透け感を防ぐこともできた。背中は覆われていたが袖がなく、襟ぐりや袖ぐりが大きい。丈は肩から膝下あたりまであり、ゆったりとした筒状の形をしている。素材は木綿、色は白、実用本位の下着であった。

ずっと昔、夏、ようよう日が翳りはじめると、人々は風呂や行水で一日の汗を流す。
湯上がりには額、首、顎の下や背中を"テンカフ"
(あせもやただれを防止する天花粉)でポンポン叩いたものだ。サラサラの粉を降りかけたような優しい白さになり、ほんのりといい匂いがする。その肌に、パリッと糊の効いたシミズを着る。一瞬、暑さを忘れる事ができた。

夕食が終わるころ、あちこちの軒先に床机がでる。人々はそこに集まり、蚊遣りの煙が流れるなかで、大人たちは挟み将棋をしたり、うちわを動かしながらおしゃべりに興じたりした。子どもたちも、その時だけは許されるシミズだけの姿で夕涼みを楽しんだ。

ときおり立つ涼風は、シミズの大きな袖ぐりから入り、背中に抜ける。えもいわれぬ心地よさがあった。ときには、かち割り氷や、冷えた西瓜が振る舞われる。みんなで分け合って食べた至福の時時共に、シミズは子ども次代の思い出のなかに色濃く残っている。


女性の下着のシュミーズがスカートの裾から僅かにはみだし、チョロっと見える事がある。
『あんた、シミチョロよ』と囁くように教えられれば、赤面の体でトイレを探し、そこでなんとか、たくし上げたものだ。
このときの恥ずかしさは、男性がズボンのジッパーを上げ忘れたときの、気恥ずかしさに似ていたのではないだろうか。

人々の衣服がはなやいでいくにつれ、シュミーズもまた変化していった。背中は中ほどで切れ、前は胸の上辺りまでとなり、ゆったりと体の線に沿った筒状のものを肩紐で吊るすという形になる。スリップである。素材も木綿から、滑りの良いセルロース系の合成繊維、キュプラやアセテートが主流になり、胸と背中、裾にレースがほどこされはじめた。

下着としての用途を失うことなく、みえないところのおしゃれを充分意識して進化していったのだろう。シュミーズがスリップへと代わっても、シミチョロという言葉だけは顕在で、その後も使われ続けていた。

衣服や機能に合わせて下着も次々新しいものにうわれかわる。スリップは、セパレーツタイプとなり、キャミソールとペチコートになった。
『セーラー服にスリップは変でしょう』
言われてみれば、襞スカートに筒状の下着は合わない。やはり下は、ペチコートである。こうして、いつしかスリップが使われなくと自然、シミチョロという言葉も消えていった。


四、五年前より、ギャザースカートや、ワンピースの裾から白いレースが覗くようにデザインされたものが、若い女性の中で流行っている。最初はどきっとするほどの違和感を覚えた私も、いつしか気にならなくなった。


流れる川の石に木切れや、藻が引っかかり、しばらく止まってまた流れていくさまが頭に浮かぶ。衣類や下着の流行はそれに似てはいないだろうか。


『今夜も、なまでさだまさし』
NHKの深夜番組である。若者のグループがスタジオの最前列でキラキラしていた。
トークの合間に話を向けられ、カメラに追われても物怖じすることなく自然体である。さすが現代っ子というべきなのか、さだまさしの話させ上手のせいなのか、、、、。

彼女たちの何人かは、裾に白いレースをあしらったスカートを穿いている。藻に埋もれて流れていったシミチョロという言葉が一瞬でも、さだまさしの脳裡に蘇ったのかもしれないと思いつつ観ていた。

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