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ファッションが、友達が産んだ赤ちゃんに見える

 長らく使っている月の満ち欠けを取り入れた手帳「ムーンプランナー」さんが、独特のファッション哲学によるスタイリングサービスを展開する「自問自答ファッション」のあさのあきやさんとコラボレーションした企画を展開していて、面白くてずっと追いかけていました。

 その流れで、ファッションというものに多少目を向けまして、あれこれ考えてみたりもしつつ。
 そこで紹介されていた「ネイルのエクササイズ」というものをやってみたら……自分の中で腑に落ちるところがいくつかありました。
 が、しかし、その「腑に落ちた」ことは、自分が何を着ればいいのかがわかった、という話ではなく……。

★★★

「ネイルのエクササイズ」の内容は、自問自答ガールズの皆様には常識かと思いますが、そうじゃない方のために一応簡単に説明しますと、
「自分の手にネイルをして、その手を綺麗な布を背景に、お気に入りの品(手帳や雑貨等)と一緒に写真に撮ってみる。できあがりを画像修正ソフトで修正したり、エフェクトを入れてみてもOK」
というものです。

 という訳で普段全く使わないマニキュアを、数年ぶりにしてみました。国産、有機溶剤を使わない、水で落とせて自然に優しい、というのが売りの、「ANDIZUMO」さんの翡翠です。
 普段使っている小さいノートやお気に入りのヒヨドリ刺繍がま口等々と一緒に、カシャッ。

 楽しいです。滅多にやらないことのせいか、テンションが上がります。
 上がるのですが……何か、何かが引っかかる。
 やっている最中も、撮った写真を見ても……ある種の非日常感という面白さはあるのですが、それ以上の盛り上がりがない。綺麗な色で彩られた自分の爪や手に、感慨がわかない。
 どちらかというと、
「爪にキュリキュリした感触が乗って落ち着かないなぁ」
「コレ、環境に優しいネイルではあるけれど、落とす時に気をつけないと下水にマイクロプラスチックを放出しそうだなぁ」
みたいな思考ばかりが浮かんできて、目の前の、多少なりともいつもより綺麗におめかしされた手が、他人事のようにしか見えない。

 あと、「いつもよりは綺麗」になっている手なのだけれど、やはり「世間一般の評価としてはお世辞にも美しいという訳ではない」というのがはっきり感じられ……しかし、それを美しい方向に変えていこうという気持ちに、全然ならない。
「到底美しいとは言えない手なのはわかるけど、そのことに自分の中でNG感覚がわかないし、どうにか変えていこうとも思えない」
という感想しか浮かばないのです。

★★★

 一体これは何だろうと、似たような感覚をどこで覚えたか記憶を探ってみたら……浮かんだシチュエーションは、

  • 友人が産んだ赤ちゃんを見た時

  • 美術館で絵を見た時

だったのです。

 友達が産んだ赤ちゃんは可愛いですが、その子について、私がコミットするものはありません。いや友達のお子さんに何かをコミットする方ももちろんいらっしゃると思いますし、もしかしたらそっちの方が一般的なのかも知れないのですが、私にとっては「友達の赤ちゃん」は「友達の赤ちゃん」以上のものではなく、あくまで自分の人生の外にいる存在です。

 同じように、ネイルを見ても、テンションは上がるし、可愛さ美しさはわかるし、きゃー可愛いー or おお素晴らしい……!と愛でることも、できる。けれど、その先に自分に接続するものがない。たどっていくと、自分ではない誰かの背中しか見えない。

 私は、自分が美しくなろう、という方向に注ぐエネルギーを持っていない。
 美しいものは、自分の「外」にあって愛でるものであって、自分ではない。
 それが私の根っこなのだと実感しました。

 ……こう書くと、「私なんて美とは無縁の存在ですから」みたいな卑下、卑屈のように見えるのですが、そうではないのです。
 美という価値へのリスペクトはあるけど、自分自身に求めている価値は美ではない、ということです。
 そりゃ美しい方が嬉しいですが、その美しさを求め作り維持するコスト(お金をかけたり、それについて勉強したり、練習したり、環境に負荷を与えたり)を考えた時、それに見合うメリット(自分がハッピーな気分になるとか、仕事がうまくいくとか、他の能力に好影響を与えるとか)が、ない。
 というか、「コストとメリット」という枠で考えてしまう段階で、相当自分の中に存在しない価値なのだなと思います。

 自分に「ファッションとは美である」という先入観があるのを発見したのが、今回の収穫でした。
 この「美」というのは、純粋に美学的な意味合いだけでなく、芸術性や、メッセージ性も含んでいます。そういう意味ではかなり広い価値で、多くの人がファッションにこめているものではないでしょうか。
 しかし私の中にはそこに接続する回路がないので、そういう方向で選ぶのは空回りになるだけなのでしょう。

 しかし、おしゃれをして美しくなりたい!という欲求や感覚がものすごく低くても、服は着なければなりません。
 加えて私は、これほどまでに美への欲求が薄いにも関わらず、「着られれば何でもいい」とは思えない人間なのです。
 ……という訳で、自分が服を選ぶ基準についてあれこれ考えてしまったのですが、それはまた別の記事↓にて。


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