2021年の振り返り(前半)
こんにちは!古屋聡美です。2021年は人生第2のパラダイムシフトが起こった一年だったので振り返ってみたいと思います。
ざっくり書くと2021年の主な出来事はこんな感じでした。
言語化してみると一つ一つがヘビーですが、相互作用して人生の幸福度が飛躍的に向上しました。本当に色々なことを感じ、たくさん成長し、たくさんの変化があった一年でした。総じて2021年の抱負であった「愛と算盤」は達成できたかなと思います。^_^
娘を出産した
父が癌になってた
姉と再会した
起業家をお休みした
生きる目的を再定義した
社会と折り合いをつけた
ビジネスを再定義した
できるだけ端的にまとめようと務めたのですがかなりボリューム感が出てしまったので、前半(1〜4)と後半(5〜7)に分けてリリースします。
1. 娘を出産した
まぎれもなく2021年最大の出来事であり、人生で最も大きなライフイベントでした。産まれた瞬間にワッと涙が溢れて、あれが感動っていうのかもしれないけど、感情としては安堵の方が大きかった。娘は産まれた瞬間から目を全開にして「お前らが私の親か、さぁ、どう育てる?」と図ってくるかのように私と夫を鋭い眼光を向けてきました。コロナだったけど夫だけ分娩立ち会いができて、その瞬間を共有できたのは夫婦として重要な体験でした。
出産から4時間後すぐに母子同室での子育てが始まり、1〜3時間おきの授乳とオムツ替えの無限ループだった5日間、色んなところが痛いし眠いし頭回らないし、意識朦朧としながら屍のようにひたすら乳やって「あー私って哺乳類なんだ」って地球の生態系に組み込まれた実感と喜び(?)を感じながら「子孫を残そうとする単なる生物の一つ」という存在を全うしていただけだったけど、ただただ愛おしくて尊い存在とのかけがえのない日々は、何にも代えがたい人生で最も幸福な時間でした。それまで本当にこんな私が母親になれるのか、ちゃんと母性は出てくるのか、子供を可愛いと思えるのか不安で自信がなかったけど、オキシトシン炸裂・母性大爆発して「ママ・古屋聡美」が爆誕した。自分でもびっくりしたけど夫が一番びっくりしてた。
2. 父が癌になってた
コロナにより入院中の面会は禁止だったため、生後2週間ほど経った頃に父が孫と初対面しにうちに来た。顔見た瞬間「あ、これはやばいな」って思って一言目に「何の病気したの?」って聞いたら癌になっていたことが発覚した。臨月の私をびっくりさせて赤ちゃんになにかあったら大変と勝手に配慮して、手術も終わってからの事後報告だった。それぞれ独立した胃がんと大腸がんが同タイミングでできていて、胃がんは大したことなかったけど大腸がんはステージ3でリンパもいってたので抗がん剤治療が始まることになった。
出産・育児と仕事の両立だけでもいっぱいいっぱいなのにそれに加えて介護もくるのかと覚悟したけど、最近の抗がん剤治療って通いで済むそうで、仕事も一人暮らしも続けながら、自立して治療を進めることができた。77歳の父なのでいつ何が起きてもおかしくないし、むしろ今まで何も大病せず持病もなく現役で会社を続けてくれてきたことに感謝しつつ、新生児の目まぐるしい成長を目の当たりにしながら親の老後とその先に必ず訪れる別れを思うと、時の流れの早さ、その美しさと残酷さに色々な感情が渦巻いた。
3. 姉と再会した
すっかり忘れて生きてたけど、実は私には異母兄弟の姉が一人いました。私が小さい頃はたまに会っていたみたいだけど、記憶に残っているのは2回だけ。物心ついて初めてそのファミリー・シークレットが明かされた中学生の時と、姉に子供が産まれてお見舞いに行った時だけでした。LINEは交換していて連絡先は知っていたけど、今更「お姉ちゃん」とは呼べないし、大人の事情で父は姉と前妻さんを置いて母と一緒になったわけだから、その娘としてはただ申し訳ないという気持ちしかなく遠い親戚のような存在でした。その姉から「ちょっと話したいことがある」と数年ぶりにLINEが来ていたのでたぶん父のことで何かあったんだろうな〜と思っていたんだけど、コロナで会うタイミングを逃してしまっていた。
父から姉が献身的に父の癌治療のケアに付き添ってくれていると聞き、本来であれば私が主にケアすべき立場であるにも関わらず快く面倒を見てくださっていることにただ感謝しかなかった。産後外出してはいけないこともあってすぐに直接は会えなかったけど、LINEや電話で定期的にお話しながら父のケアの方針や情報共有をしていった。高齢の親の面倒を共に見れる血の繋がった存在がいるというのはこんなに心強いんだと思った。普通の姉妹とは違うかもしれないけど、姉がいるというのはこういう感じなんだ、自分の娘には将来兄弟姉妹を持たせてあげられるように頑張ろうと思った。
しばらくLINEを交わしてから、今まで言えなかった「申し訳ない」という気持ちを勇気を出して伝えてみたら、「さとみちゃんも別のところで苦労したでしょ、母親同士は歩み寄れないけど、私たちには関係ないし、そんな風に思うことは全くないよ、父の親孝行、一緒に頑張ろうね」という暖かい返信が来て胸アツになった。
4. 起業家をお休みした
夫の絶大な協力もあって産後1ヶ月で仕事に復帰し、生後2ヶ月で保育園に預けられるまでの約1ヶ月間は夫婦で交代で娘の面倒を見ながらなんとか仕事をこなしていった。里帰り出産もせず(帰る里もないし)自分たちの両親にも頼らず、二人きりでの初めての子育ては大変だったけど、新生児の愛おしい姿と日々の成長を二人で見守れたこと、お互いの仕事ができるように協力し合いながら(ケンカもしながら)過ごせたことは圧倒的に夫婦の絆を深めたと思う。が、夫婦共に働きながら新生児のお世話を両立するのは本当に本当に大変で、早く保育園が始まらないかなとその時は待ちわびていた。
産まれる前はできるだけ早く仕事に復帰して、そのためにベビーシッターや保育園に預けることに何の抵抗感も持たず、合理的にタイムマネジメントできる自分を想像していた。起業家なんだからそれくらいできて当然だし、そうすべきだと思っていた。でもオキシトシンはそれを許さなかった。
保育園初日の朝は心配で不安で号泣。こんな小さい子を外に預けて、先生が間違えて落として死んじゃったらどうしよう。他の大きい園児が蹴ったりして怪我したらどうしよう。登園中に車に引かれたらどうしよう。抱っこして歩いてる時に転んで潰しちゃったらどうしよう。コロナにかかっちゃったらどうしよう。。。止まらない最悪のシナリオ・イマジネーション。
夫がなだめてくれてなんとか一緒に登園できたのもつかの間、園に着いた途端「〇〇ちゃんおはよう!」と初っ端から名前を間違えられ(すごく似た名前のお子さんが先に入園していた)、そのままその子のカードでタイムカードを切られ、情緒不安定が大爆発して帰り道にまた号泣。慣らし保育を待つ間、ユナイテッドアローズの山崎さんと久しぶりにお茶する予定が入っていたのが救いだった。たまたま同じく生後2ヶ月から保育園に預けられたということで、ママ先輩とお話できてなんとかその日は気持ちが落ち着いたものの、慢性的情緒不安定のまま慣らし保育期間が過ぎ、あっという間に9:00-17:00フルタイム保育が始まった。
生後2ヶ月って一日中寝てる時期なのに加え、有り難いことにうちの娘は良く寝る子で(父親が「いつもねむい」とか言ってるのが功を奏した)、保育園まで歩いてる途中で寝て、そのまま預ける時も寝てて、園でもほとんど寝てて、お迎えの時もだいたい寝ていた(笑)つまり娘的には何の問題もなく、私は完璧な職場復帰が実現できたのである。にも関わらず、私の心のバランスが少しずつ傾いていった。
まず、9:00-17:00で保育園に預けると、起きている娘と一緒に過ごせる時間がほとんどない。朝起きてから授乳して、オムツ替えして、自分と子供の支度して、急いで抱っこして登園して終わり。お迎えして家に着いたらまた急いで授乳して、お風呂に入れて、授乳して、オムツ替えして、寝かしつけて1日が終わる。「こんなにふにゃふにゃで可愛い我が子のこの時期は今しかないのに」と寂しい気持ちは募る一方だった。
その上、保育園の往復は思っていた以上に心身ともに疲弊した。骨盤もガタガタで歩くのもしんどかったし、ちょっとの段差でも転ばないかと気を張りながら歩くのは体力的にも精神的にもすごく疲れた。また2-3時間置きの授乳が果てしなく続く日付変更線の消滅した時空に、一区間だけ時間厳守なタイムスケジュールが押し込まれたことでやっと育児モードに整ったはずの体内時計がまた狂った。
何よりも産後のホルモンバランスの変化でいわゆる「マミーブレイン」になり、記憶力と認知力が明らかにおかしくなったのは日常生活にも仕事にも影響が大きかった。今言われたことが何だったか思い出せないとか、何かを取りに席を立ったのに何を取りたかったのか忘れちゃうとか、認知症と似たような状態になった。マミーブレインのことは前々から調べていて、難しいことができなくなるけどシンプルな作業は大丈夫らしいと聞いていたのに、私の場合は逆で、ある程度の思考力を必要とするアイディア出しとか提案資料の作成はできるのに、日程調整とか、見積もりの計算とか、新卒でもできるようなシンプルなことがとにかくできなくなってしまった。
とどめを刺したのは娘が中耳炎にかかったことだった。生後6ヶ月まではお腹の中からもらってきた免疫が高いので風邪などにかかりにくいと言われているものの、保育園に通えば他の子から菌やウィルスをもらって当然。とはいえたった生後2ヶ月で中耳炎にかかることは稀。耳垂れがたくさん出て38度のお熱も出て辛そうに泣いている我が子を見て、娘にこんな負担をかけてまで働く意味ってあるのだろうか、そこまでして成し遂げたい事業って何だろうか、それって本当に私にできるのか、本当にしたいことなのか、何も分からなくなってしまった。
それに加えて東京オリンピックの森会長の発言と、コロナによるシーセッションの悲しいニュースの数々。元々何も大したことはできていないけど、こんな日本社会のために何で私こんなに辛い想いをしながら事業をやろうとしてるんだっけ?と虚しさが募っていった。それでも出資して頂いている投資家がいるのに、とか、起業家なんだから「こうあるべき」とか、他の女性起業家さんはやっているしとか、「これだから女性」はって言われたくないし(一体誰に?)とか、色んな「べき論」で自分に対して理論武装しようとしたけど限界だった。
起業家〜とか、会社が〜とか以前に、一人の人間としての「あり方」に迷子になっていた私に「一回休んだら?」と言ってくれたのはイトケンさんだった。既存投資家に休んでいいよ、なんて言われると思ってなかったから拍子抜けしてしまったけど、休んでいいんだと知った瞬間に私の一番素直なところと「休む」の浸透圧が一致したのが分かった。創業から出資してずっとご支援頂いている島田さんにもご承諾頂き、無期限のお休みを取ることになった。
「お休み」といっても会社の運営は続いていたし有り難いことにクライアントも数社お付き合いさせて頂いていたので、クライアントとのコミュニケーションやら毎月の経理や支払い業務やらやることはわりとあって結局仕事はしていたのだけど、精神的には完全に「お休み」だった。とにかく娘との時間と私のための時間を最優先して良いというマインドで毎日を過ごせるのはオアシスのようだった。
保育園を変えられたのも救いだった。生後4ヶ月から預かってくれる保育園が自宅から徒歩30秒(!)のところにあって、そちらの方が先生方も素朴で穏やかで良い方そうだったし(少なくとも名前は間違えなそう)、園児の子どもたちも活き活きとしていたし、何より通園が格段に楽になった。どちらの園も出産前に見学に行っていたけど、距離がこんなに生死を分けるとは思わなかった。私にとって保育園は「大切な子供を共に見守り、共に育てていく仲間」であってほしかったんだけど、新しい保育園はまさにそんな存在になった。
「お休み」の間、自分にとって一番心地よいバランスってどこなのか探るためにワークライフバランスの全パターンを試してみた。専業主婦モード、お小遣い稼ぎパートさんモード、週3勤務、週5時短、、、保育園も全然行かない週もあったし、しばらく心地よかったのは週3日9:00-12:00、預ける日数を週3とか週5とかに変えてみたり、預ける時間を9:00-12:00、9:00-15:00と変えてみたり。結局どのパターンが一番良かった?って聞かれることがあったけど、子供の状況も月齢ごとに全然違うし、月齢によって母親の心境も変わっていくし、唯一解はなくて、その時々で自分の心と子供の状況に真摯になって調整、調整の繰り返ししかないのかなと思う。現時点(2021年10月〜2022年2月)では週5 9:00-17:00というフルタイムに戻っていてちょっと子供との時間が少ないかなと感じているんだけど、結局お熱出したりして月に10日ぐらいお休みするから程よいかなという感じ。この当たりのことはきっと参考にして頂ける気がするので、また時間を取って詳しくまとめようと思う。
「お休み」では起業家であることから開放され、今この瞬間に心地よいと感じる状態は何か、自分の心と向き合えた。「べき論」から開放されて「自分が好きなこと」「自分がやりたいこと」「娘との未来」「家族としての将来の夢」色々なテーマで自分の心に素直になれたのは初めての経験だった。「お休み」の先にどんな結論が待っているのか分からないまま宙ぶらりんで数ヶ月を過ごし、会社もやめて専業主婦になる可能性まで含めてリセットしたのは勇気のいることだったけど、やって本当によかったと思う、というかそれをしないと私の人生も事業も1ミリも前に進めなかったと思う。その内容は後半の記事にまとめていきたいと思う。
本当は「仕事と子育ての両立をパーフェクトにこなす優秀な女性起業家」でいたかったし、こんなことを書かなければもしかしたら周りからそう思われ続けて都合がよかったかもしれない。けれど起業と子育ての真実を隠し「働く女性」のハードルを上げて、自分自身や他の女性の首を絞めながら生きていきたくないと思った。大変な時こそ堂々と進む勇敢さは持ち続けていきたいけど、強がらずに弱さも受け入れていける本当の強さを手に入れられた気がする。起業家としての視点と、一人の母親としての当事者としての確信、両方を兼ね備えた今の自分は無敵だ。これから先地球上のどこで何をするのか分からないしやっていくことのスケールはすごく小さいかもしれない(し、大きいかもしれない)けど、着実に一つ一つ積み上げていきたいと思う。
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