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8. ヒューストンにて / In Houston

さあ、ヒューストンに来ましたよ、聖霊。
私に何をさせたいですか?

⭐️バーバラ⭐️

ヒューストンに到着した直後に、私は、「教会へ行きなさい」という思考を受けとった。
私が前回教会へ行ったのは、ロバートとふたりで、キャンベル・ホットスプリングスから車で1時間、ネバダ州はリノにあるユニティ教会を訪れたときのことだった。

ヒューストンにふたたび暮らすのは(私はここで育った)、まるで新しい街で暮らすようなものだった。
17年ものあいだ、離れていたのだから。
私は、巨大な黄金のピラミッドに向かって車を走らせながら、驚いていた。
……これがヒューストンの、キリスト教ユニティ教会だった。
そこでは水曜の夜の礼拝が行われており、私は聖霊に、どの席に座るべきか導いてほしい、また何であれ彼の望むとおりに私を使ってほしい、と祈りながら、中へと入って行った。

私は、隣の席に座っていた、ジャネット・クレモラという名の元気な女性に自己紹介した。
おしゃべりするうちに、彼女がひとりで暮らしていること、自宅でセミナーを開催したいと考えていることがわかった。
何とも容易に、何の苦労もなくこうしたすべてが起こるということが、私が実際に導かれているということの、さらなる証拠だった。

ヒューストンでの最初のひと月ほど、朝になると私は、冷たい恐れの塊りが、お腹の筋肉をぎゅっと締めつける感覚を感じながら目を覚ました。
私は無職で、持ちあわせはたったの100ドルかそこらと、それにプリムス(車)だけだった。
私は聖霊に、「私は仕事をすることになるのですか?」と尋ね続けたが、何の答えも聞こえなかったし、職を探すようにというガイダンスは感じられなかった。
私が「聞いた」のは、「どこでもあなたにできる場所で、あなたにできる形の奉仕をしなさい。あなたのことは、私が面倒を見ます」というもので、頭では私もそれが真実だと思うのだが、それでもやはり恐かった。

これまで数ヶ月のあいだ、私は毎日、奇跡講座の学習ルーティンを続けてきた。
毎朝、深い呼吸法とストレッチをし、大きなグラスで水を一杯飲んでから、その日のワークブック・レッスンを読み、瞑想する。
それから、「教師のためのマニュアル」から前日に続く節を読み、最後にテキストから続きの小節を読む。

「教師のためのマニュアル」の、「信頼」についての節にふたたび戻ってきたとき、私は、「信頼はそのほかの(神の教師の資質の)すべての礎である」と書かれた箇所を、何度も読み返した。
私には、自分の感じている冷たい恐れの塊りが、私自身の信頼の欠如の表れだとわかっていたので、恐れを感じなくなるまで毎日、この「信頼」についての節を読もうと決意した。
私は5ヶ月のあいだ、毎日、「信頼」の節を読んだが、その成果は、時間を費やしただけの価値のあるものだった。

「奉仕しなさい」
私の恐れに対する答えとして、聖霊はそう「言い」続けた。
だから、私は奉仕した。
日中の多くの時間をユニティ教会で過ごし、立ち寄った人びとと話し、相談に乗り、郵送物を封筒に詰め、宛名を書き、電話応対をし、正午の瞑想会の世話役をし、自分にできることなら何でもやった。
私はたくさんの人びとと出会い、しばしば、奇跡講座について話し合うことになった。
また私は、日曜の二度の礼拝と、水曜夜の礼拝にも参加した。
心のなかでは常に、「私は、真に助けとなるためだけにここに居る……」の祈りを繰り返し唱え続けた。

聖霊が私を、誰かに自己紹介するようにと導くことが多々あったが、その結果起こるわかち合いは常に、私たち双方にとって深い価値を持つものとなった。
私は、引越しの際持ってきた奇跡講座のセットを販売し始めた。

もうひとつ私に「もたらされた」奉仕の方法は、病院への訪問だった。
こうした訪問には、勇気が必要だった。
私は、どこでも、自分が導かれていると感じる病院へと出かけて行き、聖霊に「私を導き続けてください」と祈った上で、ナース・ステーションで「訪問者が必要な方はいますか?」と尋ねるのだった。
この時点で、しばしば私は、非常に厳しい目でじろじろと見られた。
看護師たちは当然ながら、患者の権利を守ろうとしたし、「おかしな人」に彼らの心を乱してほしくなどなかったのだ。

たいていの場合、私はただそこに立ち続けた。
何かの拍子に、私たちのあいだのエネルギーが「繋がる」と、看護師たちが私の誠実さを感じ、「202号室、モス夫人……深刻な鬱。」などと言っては、どこかの部屋へと送ってくれるのだ。
そうしたら私は、彼らの信頼に感謝し、また彼らのしている仕事に感謝して、教えられた患者の部屋へと行き、やさしくドアをノックするのだった。

そしてもちろん私は、病室に入る際、心のうちで「私は、真に助けとなるためだけにここに居る……」の祈りを唱えていた。
どの訪問も、それぞれにユニークなものだった。
あるときはふたりで手を握り合い、あるときは私が彼らの足や背中をさすってあげ、あるときはただ耳を傾け、またあるときは形而上学について語り合った。
何度かは、奇跡講座について話したこともあったが、しかしたいていの場合は、ただ、「私たちは皆、愛されている。だからくつろいで、この時間をともに楽しみましょう」という体験を味わった。
病室を出る際には、私はいつでも喜びに満たされていた。
事実私は、自分がお馬鹿さんになっていて自我に耳を傾けてしまい、ひどい気分の日には、無理やりにでも出かけて行って病院訪問をするなら、自分は癒されるだろう、とわかっていたし、……そして、いつだってその通りになった!

「私が与えるものはすべて、自分に与えられる。」
奇跡講座 W-126

ヒューストンでの最初のひと月のうちに、私は30回以上の病院訪問をしたが、驚くことに、私が訪問したひとりひとりが、必ずこう言ったのだ。
彼らは何らかの形で、「誰かが訪ねて来てくれますように、と祈った」と!

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