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10. カウンセリング / Counseling

聖霊は、カウンセリングするようにと、
私のもとへ人びとを送ってくるようになった。

⭐️バーバラ⭐️

誰かに料金はいくらかと尋ねられるたび、私はいつでも「もしあなたが寄付をしたいと感じるなら、ありがたく受けとるわ」というような返事をした。

聖霊はときとして、私の方が彼らに寄付するように導くこともあった!

カウンセリングの時間が始まるとき、私は「私は、真に助けとなるためだけにここに居る……」の祈りを唱えた。
たいてい、相手と私は手を取りあい、目を閉じて、ガイダンスを求めて祈り、それから静かに座って耳を澄ませた。
そうした聖霊が司るセッションにおいて、私たちがどれほど多くを学んだことか。
ほんとうに、この世界のどんなトレーニングを受けていたとしても、聖霊がもたらしたさまざまなケースのすべてに、私があらかじめ準備を整えておくことはできなかっただろう。
私は、与えられるどんなアイデアもジャッジしないようにして、聖霊がどんなときも、すべきこと言うべきことを正確に教えてくれる、と信頼するようにした。

特に記憶に残っている一件がある。
それはヒューストンでの最初の数ヶ月のあいだに起きたことで、その頃私はちょうど、聖霊は私を完璧に導いてくれる、という確信を感じ始めたところだった。
スーという女性が私と過ごすためにやって来て、ふたりで静かに座ってガイダンスに耳を傾けていたのだが、私に「聞こえた」のは「彼女に、ヨガのヘッドスタンドのやり方を教えなさい」というメッセージだった。
私には、スーが果たしてヨガとは何なのかを知っているのかさえ、さだかではなかったし、彼女にヘッドスタンドを教えるというのは、何とも奇妙な提案に思えた。
なぜなら、予約の電話をかけて来たとき彼女は、自分のしているコンピュータ・プログラミングの仕事について相談したい、と言っていたのだから。

私は心のなかで聖霊に言った。

「スーにヨガのヘッドスタンドを教えるように、と言われたように感じましたが、それを彼女に提案していいのやら、私には充分な確信が持てません。
このアイデアを手放しますから、もしこれが真実あなたからのものなら、もう一度与えてください。
もしそうでないのなら、どうかこのアイデアを私の心から取り去ってくださいますように」

ヘッドスタンドのアイデアは、ふたたび戻って来た。

ばかみたいに感じながらも、私はスーに自分が「聞いた」ことを伝えた。
驚いたことに、スーは口をぎゅっと引き結んで、顔を真っ赤にして怒り、大きな声で言ったのだった。
「いいえ、あんなこと、二度とやるもんですか、二度と!」
私には、彼女のリアクションが信じられなかった。

彼女は話を続けた。

クラスでいまだにヘッドスタンドができなかったのは彼女を含めて数人だけで、そんな自分がまぬけで無様に思え、その絶望感に耐えきれなくてヨガのクラスを辞めたのだ、と。
また、彼女がさらに打ち明けてくれたのは、彼女はそうした絶望感や挫折感を頻繁に感じており、ヨガのクラスを辞めることで、少なくともその機会を減らすことができると思った、ということだった。
私は彼女に、何とかして前に進みたいと思うか、聖霊のガイダンスに従って、私と一緒にヘッドスタンドを練習してみたいか、と尋ねた。
彼女は、しぶしぶながら頷いた。

それから1時間ほど、スーと私は、ヘッドスタンドを試みた。

明らかに彼女は、一回ごとの挑戦の前に毎回、自分自身に対する否定的なコメントを吐いては、自ら気持ちを挫けさせていた。
私は、彼女のヘッドスタンドのポーズのみをやさしく正し、ほかのことには一切コメントを差し控えるのが良い、と感じた。
聖霊は、ヘッドスタンド以外のことは彼に任せるように、と言っていた。

しばらくすると、スーはふたたびの転倒から起き上がって言った。
「私、ずっと自分のことを貶し続けてきたんだって、たったいま気づいたわ。
まったく自分を信頼しようとしてこなかった。
それを学ぶことのほうが、ヘッドスタンドができるようになることよりも重要だわ。
これまでどんな職に就こうが、すごくみじめな気持ちだったのも当然よね。
いつも自分のことを批判しているんだから。
これから先は、仕事を辞める代わりに、自分を貶める癖を辞めるようにするわ。
私は自分がほんとうに辞めなければならないことを辞めるつもりです、聖霊、どうか私を助けてください」

それ以来、私は、どんなガイダンスを聞こうとも、それがどれほど奇妙に思えるものであろうと、ためらわずに、ただ伝えることにしている。

聖霊はいつだって、どんぴしゃりの答えをくれるのだ。

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