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5. 変化 / Movement

⭐️バーバラ⭐️

奇跡講座のスタディ・グループを始めて4ヶ月が経ったある日の午後、私たちは、集まって一緒に瞑想をした後、ストレッチをし、深呼吸して「ふだんの」意識を取り戻そうとしていたところだった。
突然、私は、内なるビジョンを受けとり、「あなたはここに残り、ロバートはインドへ行く。」という文字を見た。
それらの文字は、枠で縁取りされた、3Dの大文字として見えた。
また私は、深みのある声が、その文字を読み上げるのを「聞いた」!

言葉を発することもできないままに、私の心のうちに痛みを伴う悲しみが湧き上がり、私は声をあげて泣き出した。

私の嗚咽が、部屋にいた人たちに、何か普通ではないことが起きているようだ、と気づかせた。
私が深呼吸して、出てくる感情を観察するあいだ
、ほかの皆は私の周りに静かに座っていた。
外側においてこの悲しみを体験しているあいだずっと、私は、深い内なる平安と穏やかさ、また、すべてはうまく行っていて何の問題もないという信頼を感じていた。
しばらくして私は、ロバートやほかの皆に、何が起こったのかを話すことができた。

私たちは、最近インドを旅してきた友人たちから、あなたがたもぜひ行ってみるべきだと強く勧められていた。
ロバートと私は、これについてガイダンスを求め続けていたのだ。
けれども、ふたりのうち、どちらかひとりだけがインドへ行くことになるとは、思っていなかった。
私たちの感情は、平安から喪失の恐れへ、そしてまた平安へと揺れ動いていたが、それでもふたりとも心の深いところで、このガイダンスの正しさを感じていた。

奇跡講座の「テキスト」で指示されている通り、私たちはこれまで聖霊に、私たちの関係のなかへと入ってきてほしい、私たちの関係を「特別な関係」から「聖なる関係」へと変えてほしい、とお願いしてきた。

「自分は相手から何を得ることができるか」を土台に成り立つ関係から、「私たちの関係を、どのようにして聖霊の目的に使っていただけるか」を土台とする関係に変えてほしい、と頼んできたのだ。
私たちふたりの人生において、愛のスピリット(いまとなっては「神」と呼んでいるが)の体験はとても力強いものだったので、聖霊がさせようと導くならどんなことも、私たちの想像をはるかに超えて素晴らしいはずだと信頼しようという意欲を、私たちは持っていた。
だから、もしロバートと私が一緒にいることが良いことであったなら、聖霊が私たちそれぞれをどんな状況へと導こうとも、それも必ず良いことであると理解していた。
そして、もちろん、私たちが学んでいることの真実を明らかにし続ける唯一の方法は、ガイダンスに従うことなのだ。

その日の後になって、スタッフ・ミーティングの際、私はイライラとして、よそよそしい気分になっている自分に気づいた。
私にできることと言ったら、できるだけ気持ちを落ち着けて、呼吸し、その日の奇跡講座のレッスンを心のなかで繰り返しつつ、部屋のなかを行きつ戻りつ、ゆっくりと歩くことだけのように思えた。
突然、私は皆の方へと向き直り、
「私はここにいないみたい。自分がどこにいるのか、見つけてくるわ」
と言い残して、ロッジを出て自分たちの小屋へと向かった。
なんだかとても妙な気分だった。
小屋のドアノブに手をかけた瞬間、私はふたたび、内なる声を聞いた。
「ヒューストンに戻りなさい。
あなたにはそこで、教え、学ぶべきことがたくさんある。」

私は小屋へと入り、ベッドに身を横たえた。

聖霊は、ロバートをインドへ、私をヒューストンへと送り出すつもりなのだ。
これは私たちの両方にとって、急激で完全なる変化だ。
私たちはお互い、地球の反対側へと分かたれようとしているのだ!

1時間ほどすると、ロバートが小屋にやってきたので、私は彼に、より詳細なガイダンスを受け取ったこと、私はヒューストンへ向かうことになることを話した。

私たちはふたりとも、静かに座って、窓から見える美しいシエラ・バレーを眺めた。
この景色も、またお互いのことも、長いあいだ目にすることはないだろう……もしかすると、二度とふたたび……

私は自分の荷物を整理して、その翌日、キャンベル・ホットスプリングスのコミュニティのメンバーと、シエラ・バレー在住の友人たち数人を私たちの小屋へと招いた。
私は、自分の家財道具、ステレオ・セット、たくさんの服、アクセサリー、食器や鍋の類がすべて、友人たちの手で持ち出されてゆくのを見守った。
彼らの多くは、気前のよい寄付を置いていってくれた。

まもなく私は、聖霊が望むところならどこへでも、ただちに簡単に引越せるほどに、身軽になった。
大きな喜びを感じるとともに悲しみも感じて、そのふたつの感情のあいだで私は揺れ動いた。
私たちは毎日の奇跡講座の実践を続けたが、それが大きな助けとなってくれた!

ロバートは素晴らしく協力的で、私がプリマス(※訳注:ふたりが所有する車)に少しでも多くの荷物を積めるよう、パッキングを手伝ってくれた。

最優先で積むべきは、前の週に届いたばかりの奇跡講座の在庫、20セットだった。
その後に残ったスペースに、私は自分の個人的な荷物を詰めることにした。

ヒューストンへ戻るようにというガイダンスを受け取って4日後には、私は荷造りを終え、出発の準備を整えていた。
ロバートがインドへ発つまでには、あとひと月近くあったし、それまで私もヒューストンに向かうことなく待つことも可能だったけれど、私のなかの「行かなくては」という衝動はあまりにも強く、私自身にもロバートにも止めることはできなかった。
できる限り最後の瞬間まで一緒に過ごしたい、という思いは双方にあったのだが、私たちの別々の旅路は、どうやらすでに始まっているようだった。
私たちふたりともが、私はいますぐに出発するべきだという、とてつもないエネルギーを感じていた。

ロバートには内緒で、私は新しく届いた奇跡講座のなかから1セットを、隠して置いた。

それまで私たちは、ホゼから贈られた1セットを、ふたりで使っていた。
これからは別々に学ぶことになるのだから、ふたりに1セットずつ必要になる。
「テキスト」の表紙裏に、私はこう記した。
「ロバートへ。あなたは私の人生で最初の奇跡でした、……私のソウルメイトよ。いつでも愛しているわ。ありがとう、とっても感謝してる。あなたのこと、ほんとうに大切に思っています。……バーバラ」

出発の前の晩、私はロバートに、新しい奇跡講座のセットを贈った。

私たちふたりにとって、それはとりわけ暖かく愛に満ちた瞬間だった。
私たちは、驚くほど勇敢だった……
聖霊がふたりを、それぞれ地球の裏側(地球儀で確認してほしい)に送るがままに委ね、この別離のように見えるものが、私たちそれぞれにとって個人的にも、ふたりの聖なる関係のためにも、また神の子全体にとっても、最善であると信頼したのだ。

私が旅立つ日の朝も、私たちはいつものルーティンを行った。

その日のワークブックのレッスンを読み、瞑想し、「教師のためのマニュアル」を読んでから「テキスト」を読み、それから熱水泉へと散歩した……時が止まったかのようだった。
その朝遅くに、4月の小雪の舞うなか、私は車で出発した。
陳腐かもしれないけれど、私たちは、声が届かなくなるまでお互いに、「愛してる」と叫び合った。

車を走らせながら私は、自分が夢のなかの生を生きているのであり、これまで自分が「私」だと思っていた夢の主人公が、真にこの夢のコントロールを持つことは、二度とふたたびないのだ、とはっきりと悟った。

それはあたかも私が、降りることができない小舟に乗って、川の流れの上にいるかのようだった。
私には、川に向かってどこに流れよと命じることなどできなかったのだし、小舟がどこへ行くかも正確に予知することはできなかったのだから、私に唯一できたのは、この時以降、何が起きようともそれを良い経験とすることを選ぶ、ということだった。
「神の平安が、私のただひとつのゴールです。」
私は、自分が素晴らしく身軽で、喜びにあふれているのに驚いた。
実際に旅立つときは、どうしようもなく悲しくなるだろうと思っていたのに。
そのとき私は、「教師のためのマニュアル」においてイエスがこう言っている箇所があるのを思い出した。
「彼は、悲嘆を予期していたところに幸せで快活な気分を見出すことになる」
すると、私の気持ちはさらに軽くなった!
私自身の個人的な人生において、奇跡講座は真実となったのだ。
私は、ロバートと自分が、完全なる愛、完全なる平安の体験へと導かれているのだと、真に信頼することができた。

⭐️ロバート⭐️

バーバラが去って数時間後、私とスタッフ宛ての絵はがきが届いた。

バーバラはローヤルトン(15マイル先)で小休止し、私たちにラブレターを書いたのだ。
彼女は、朝の配達に間に合うように投函できた。
なんて素敵なサプライズだったことか。
その日から数日のうちに、私たちのもとにはさらに4通の郵便が届いた。
そこにはヒューストンに向かう旅路における彼女の喜びと冒険、そして私たち皆への愛が綴られていた。

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