見出し画像

14. 不淫 ー 結婚 / Celibacy - Marriage

⭐️バーバラ⭐️

ヒューストンへと向かうドライブの最中、不淫……つまり性的な表現をまったくしない生活を体験するように、とのアイデアを与えられたという話は、以前書き記した。
それ以前にも、そういう生活ってどんな感じなのかしら、と思ったことはあったが、いまとなっては私自身が、実際にそれを生きてみることになったわけだ。

私は、それがとても気に入った。
即座に平安と穏やかさの感覚に気がついた。
私の歩き方が変わった。
私の目の使い方が変わった。
自分の以前の在り方が、他者からの称賛や欲望、好意を引きつけることを目的としていたことに、私は気づいた。
驚きだった。
そうしたものすべてを手放し、リラックスし始めることで、どんなにかほっとしたことだろう。
さあこれで私は、どこにいようと、「真に助けとなるためだけに……私を遣わした聖霊の代理として」そこにいる、のだった。
私は、セクシャルな気分というものは、ただ単に愛として体験され得る、ということを学んだ。

喜びに満ちた3ヶ月の不淫生活ののち、私は、サンフランシスコにいるロバートからの長距離電話を受けた。
ロバートは、私に会いに来たがっていた。
さて、どうしたものかしら?
私はヒューストンでの、「神聖な独身女性」という自分の立ち位置を、思うさま楽しんでいたので、不淫の生活を手放すつもりは、まったくなかった。
ロバートのことは、どうしたらいいのだろう?

私は、しばらくふたりで過ごしてみて、お互いが会わずにいた4ヶ月のあいだに起きたすべてのことをわかち合えばいいわ、と考えた。
これまでヒューストンの誰にもロバートのことを話していなかったので(はたして彼と再会することになるかどうかさえ、私にはわからなかったのだから)、彼が私に会いに来るということは、ごくわずかな友人にのみ伝えた。

バス・ターミナルまでロバートを迎えに行った際、私は彼を見て、なんとも深く、純粋で、神聖な歓びを感じた。
私たちは、お互いといっしょにいられることが、とてもうれしかった。
ふたりでいるのがこんなにも楽だと感じられることに、私は感謝していた。
でも、彼に自分の不淫の生活について話すことを思うと、落ち着かない気持ちになることには、ちゃんと気づいてもいた。

私たちは翌朝の5時まで語り合い、そこで突然、私たち双方にとってまったくの驚きだったことに、ロバートが言ったのだ。「僕たち、結婚することになるよ」と。

彼が言ったことの内容に気づいて、私たちのあいだに、衝撃による長い沈黙が流れた。
私たちにはふたりとも、これまで2度の結婚歴があり、そしてふたりとも、3度目の結婚をするつもりなど、まったくなかった。
それぞれふたりとも、離れて暮らしていたあいだ、満ち足りて、なんの不足も感じなかった。
そしてふたりとも、これまで、いっしょにいる必要を感じていないのにパートナーを持ったこともなかった。
「必要」ではないのにする結婚って、いったいどんなものなのかしら?

ロバートに、私の不淫の実践と、それを私は今後も続けたいと思っていることについて、話すべきときだった。
驚いたことにロバートは、彼もまたこの数ヶ月、不淫を実践してきたこと、そしてそのプロセスにおいて、多くの気づきを得ていることを打ち明けてくれた。
私たちはふたりとも、ふたりの関係を、性的ではないかたちで続けてゆきたいと望んでいたのだ……なぜ聖霊は、私たちを結婚させたいのだろう?

私たちはともに、こんなふうに言って祈った。
「聖霊、あなたが私たちを、結婚するようにと導いていらっしゃるように思えます。
私たちにはどういうことかわかりませんが、あなたに従います。
でももし、私たちがなにか誤解していて、結婚するというのが間違いであるなら、どうかこの道に小さな障害を置いて、それ以上進むべきではないとわかるようにしてください」

それからわずか4日後、10人あまりの友人や家族が集まり、1977年7月20日の午後6時、ヒューストン・ユニティ教会のピンクの花が咲き誇る祈りの庭で、バリー・ノウルズに補佐されたジェーン及びシグ・ポールソンが、私たちを正式に結婚させた。
私たちの誓いは、次のようなものだった。

1) この神聖な関係を、聖霊が意志されるとおりに、いかようにも使っていただくこと。
2) 私たちの神聖な関係を、神の子全体(訳注:※文末参照)における愛の経験を、拡大し、延長するための経路として使うこと。
3) 私たちの両方が、行なうことすべてにおいて聖霊の導きを求めているということを、お互いに信頼し合うこと。
4) 私たちの、神との一体性を悟るための道において、ふたりがお互いに育み合い、支え合うこと。

こうして、私たちは結婚した。
私たちの日々の修養は、朝6時に起き、呼吸法とストレッチをして、その日の奇跡講座レッスンを読み、瞑想し、教師のためのマニュアルとテキストを読む、というかたちとなった。
それが終わるとだいたい午前8時頃で、電話が鳴り始める。
私たちはセミナーを開催したり、自宅での個人カウンセリングをするほか、電話によるカウンセリングも、たくさん行なっていた。

※訳注:神の子全体
原文においては、the Sonship。『奇跡講座』中では、〈一なる子〉と訳されている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?